とある審神者の本丸

その審神者、旅先で寄リ道多し。

【 #宮島探訪 ①】厳島慈しむ(12/16-17)【厳島神社】


-スポンサーサイト-

先月末に審神者就任2周年を迎えました。

今年も楽しく脳死周回頑張りまーす!
こんばんは!あめんぼです。
楽器集めとか集まる気がしない。


さてはて、いよいよやっとこさ2016年最後の旅まで辿り着きましたよ;;;;長い道のりであったよ....昨年、7割は京都に旅していたわけですが、ラストは京都をバビューンと通り過ぎて広島の宮島へ行ってきましたよ!宮島といえば、そう!厳島神社!!

Twitterのフォロワーさん達が厳島神社の名宝展に行っていて、厳島神社か〜行ったことないなぁ。おいくらで行けるのかしら....

わぉ!京都旅行より安い!マジかよ。

と思ったら、うっかりポチッとやらかしてました(笑)

そんなわけで12/16〜17の一泊二日のちょっとせわしない旅をしてきたわけです。

ひかり→のぞみ→JR山陽線
と、約4時間。最近の旅では1番の長旅です。遅い時間に出発したので宮島口に着いたのはお昼過ぎ。京都での早起きせかせかが嘘のようなのんびりぶりです。

宮島口駅に着いたら、フェリー乗り場へ。

8時〜17時までは全て15分間隔で出航していてわかりやすいね。(よっぽどの事がなければ10分25分45分50分が出航時間。)

時刻表(通常ダイヤ) |JR西日本宮島フェリー
※9:10〜16:10は大鳥居便っていって大鳥居を正面から見れる便があるよ!

松大汽船もお隣で出航しています。松大汽船は10分〜15分間隔の運航。どちらも料金は180円で宮島まではだいたい約10分くらいです。

ちーかー

づーいーてー

キタァァァァ!!

あああ!厳島神社・・・厳島神社来たんだ!来たんだ私は!!と、まだ上陸すらしてないのに感極まる。この時は、12月中旬だったのでやっぱり海辺は風が冷たくてブルブルしながらも、外でずっと景色見ていたのは言うまでもない(笑)

日本三景 宮島....すでに鹿がこんにちはしてる。

実は私、幼少時代に奈良の鹿と因縁があった過去がありいつかその事を書きたく思う。


宮島郵便局:風景印

宮島に着いてから最初に行った先は、宮島郵便局。
この日は、金曜日で平日だったから風景印をいただきたかったのですよ。記念切手が売っていたので既に押してもらう用の切手はノートに貼ってたんだけど折角なので買って押してもらったのでした。

世界遺産厳島神社【国宝】

今回は名品展で是が非でも平家納経を...!というのは当然ながら普段なかなか此処まで来ることもないので自分の欲求は全部詰め込んで欲求を満たしていくという消化不良起こす可能性も無きにしも非ずな旅でもあります(笑)

早々に厳島神社へ。

  • いつの間にか白馬になる歴代の奉納神馬達


厳島神社の向かい側に馬小屋があってそこに神馬の像があります。白馬なんだけどね、これね七不思議なんだって。昭和後期くらいまでは、本物の馬が奉納されて飼われていたらしいんだけど、黒毛や茶毛や栗毛どんな毛色の馬もいつの間にやらみんな白馬になっちゃうんだって。不思議な事ってあるんだねぇ....。

お....?

これもしかして神烏(おおがらす)かな?

厳島神社も確か神烏伝説あったよね?確か、厳島神社の初代神主さんの前に市杵島姫命が現れて"この島が気に入ったから社殿を作って欲しい"と言われて市杵島姫命に使える神烏と社殿を建立する場所はどこがいいかなって巡ったんだよ。で、今の場所に作った...という曖昧ななんかの本で読んだ筈...な感じの記憶なのであてにしてはいかんけど多分あってる。

わー!凄い!!見て見て!!ちゃんと阿吽だよ!青銅なのかな?厳島神社の受付前にある石灯籠にいたよ。


水鳥がようこそと、お出迎え....は、しとらんな。夢中になって、お食事中ですな。

  • 【国宝】東回廊

入って早々に美しい回廊にまず圧倒されるわけで.....

初めて行く場所は....否、次いつ行けるかわからない場所は割と落ち着きなくキョロキョロしてしまうんだけど、天井を見上げた瞬間一瞬違和感を感じまして、出だしからピタッと足が止まったのである。

だから私はひとり旅が多いわけだ。

なんなんだ、この違和感は....?まじまじ眺める事数分....

ああっ!垂木と棟木が逆なのか!!

垂木(たるき)は、棟木(むなぎ)の上に掛かってるのが一般的なんだけど、それが上下逆になっていて、棟木が垂木の上に乗っかってる。この技法って今だとあんまり見かけないのでは無いか?とはいえそこまで旅してる部類の人間では無いので日本各地の建築見て回ってないからもしかしたらあるのかもしれないから断言はしないけどかなり珍しいんじゃ無いだろうか?

歴史がある寺社仏閣も、様々な時代背景で、災害や紛争からの焼失、または社会情勢からの荒廃していったりするけど、そこから時代変わって再建されたりすることもあるよね。この再建って所がキーワードで、時代が違うからその時代の建築様式で生まれ変わる事がにあると思うんだよね。 設計図等残ってなかった場合は尚更再建された時代の流行の建築様式が色濃く出たりするんじゃないだろうか?この回廊は安土桃山時代あたりに再建が行われているんだけど創建当時(1168年)の技法が受け継がれているのは、胸が熱くなるものがあります。世界遺産登録されたのも頷けますね。

なんか比較できる写真を過去にとってないだろうかと膨大な量の写真を探していたんだけど、辛うじて解るんじゃ無いか?って画像が大覚寺ので1枚だけあったので比較してみよう。

厳島神社が棟木が下に対し、大覚寺の棟木は上にあるのが解ると思います。建築に興味のある方....特に建築業に携わったことある方は、テンション上がると思うよ。

  • 【国宝】(まろうど)神社

一番最初に出逢う摂社が、客神社

厳島神社の本社御祭神は、宗像三女神(むなかたさんじょしん)なんだけれどもこの客神社には、五柱男神(いつはしらのおがみ)※1が祀られています。この神様は、素戔嗚尊天照大神誓約(うけい)宗像三女神と一緒に生まれたから厳島神社のお客様として祀られてるんだって。


由緒にも御本社と同様とし、当社を先祭とすると書かれているので重要な神社なのが窺えます。厳島神社の本社本殿の建物をそのまま小さくした形で、祓殿・拝殿・幣殿・本殿からなっていて摂社の中で一番大きく、厳島神社の祭事はまずこの客神社から始まる習わしがあるくらいなので最初に参拝するのが正式参拝方法といえるでしょう。以前八坂神社でやらかしたので今回はちゃんとお勉強してから行きました;;;

客神社の向かい側に祓殿(はらえどの)があります。その名の通りで、ハラキヨ部屋です。ここでまず穢れを断ち切ってから参拝しよう。

※1五柱男神
天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)天穂日命(あまのほひのみこと)天津日子根命(あまつひこねのみこと)活津日子根命(いくつひこねのみこと)熊野久須毘命(くまののくすびこのみこと)


ここまでが冒頭....なわけだが...←


客神社で挨拶も済ませた事だし、それじゃあはりきって進んで行こう!!!


干潮の時だけ見れる鏡の池!
手鏡のように見えるのでこう呼ばれているそうです。不思議なことにここから流れ出している水は、海水ではなく清水が湧き出しているんだとか。実はこれ、川の水なんだって!!なんでも厳島神社造営の際に人工的に川を社殿から右側に流れるよう曲げたんだそうです。下に貼り付けた地図を見るとわかりやすいかもしれないけど、そういわれると・・・・・妙に不自然な川の流れ方になっているよね・・・・本来だと客神社と本社の間をこの川はすう~っと通り抜けていたんだって。

その名残から、干潮時に湧いている水はかつての川の伏流水なんだそうだ。この鏡の池は、宮島八景のひとつで、"この池に映る月はたいそう綺麗だ"と言われていて、鏡池秋月(かがみいけのあきのつき)と称されて和歌や俳句が詠まれています。

昔の人(特に高貴な方々)は、実物を見るというよりは、何かに投影して映り込んだそれを()でる事に趣を感じていたんだろうね。美的感覚が凄いよね。仲秋の名月に訪れたらさぞかし綺麗なんだろうなぁ。いろんなところでお月見を体験したいけど一箇所でしか見れないじゃない?だからいつ実現することやら・・・今回は時間がなくて贅沢な時間の使い方が出来ずじまいでしたが・・・・宿はやっぱり宮島に泊まんないとだめだね;;;広島駅の近くに泊まってもうた。完全にミスった感じ。

厳島八景については、こちらのサイトをご参考ください。
厳島八景|伝統・民話|一般社団法人宮島観光協会
©︎宮島観光協会



平家物語厳島神社を舞台にした話があります。ひとつはこの卒塔婆石に関連する、"卒塔婆流し"というお話。あんまり書きすぎるとしっちゃかめっちゃかになってきているので、ザックリ省いて書いちゃいますが、鹿ヶ谷の陰謀(or 鹿ヶ谷事件)っていう平家打倒を画策したクーデター未遂事件があって、それに加担した平康頼他数名は、鬼界島(硫黄島)に流罪されちゃうわけですよ。


都の貴族が、屋久島近くの離島に流されれば・・・そりゃ不便な場所だし、ホームシックにもなるでしょう。卒塔婆をたくさん作って和歌を書いて島から流したんだって。毎日毎日和歌を認めては流し、また流し・・・と続けていたわけです。


その数ざっと千枚。その中の1枚、厳島神社のこの場所に流れ着いたんだとか。
それは、偶然か必然か・・・

  • 康頼灯篭


ちょうど、厳島神社に1枚の卒塔婆が漂着したその頃、タイミングよくその場にいたのが康頼の安否を訪ねてやってきた僧だったわけです。これから喜界ヶ島行こうとしてたのね、

で、あれっ?これは、康頼殿が書いたものじゃん!!都持って帰ろ!!って持って帰って清盛に見せるわけですよ。そしたら、

『あー、なんかだんだん可哀想になってきた、許してあげようかな〜』

みたいな気になった清盛が、都戻ってきていいよってね、放免されて、そのお礼に寄進したのが、この石灯篭。この、康頼灯篭は宮島最古の石灯籠なんだそうですよ。卒塔婆石と並びなのがわかりやすくっていいね。なんだかんだで優しいんですよね...、この康頼さんもさ、敵のお墓建ててあげたりとかしてね、優しい人だったんだよね。

  • 【国宝】本社本殿

上の客神社でちらっと触れましたが、本社の主祭神宗像三女神市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)田心姫命(たごりひめのみこと)湍津姫命(たぎつひめのみこと)が祀られています。

という意味があるんだそうで、なるほどこの地に造営されたのも頷けますね。


本殿から見るこの光景がなかなか美しいのですが、9時にはもう観光客がわんさかいるので出来ることなら朝一厳島神社が開くと同時に一番乗りで参拝すればめちゃめちゃ神々しい風景を目の当たりに出来るんじゃないかななどと思ったり。6時半から参拝できるからね。早起きは三文の徳というしきっと良いことあると思うよ!初日は午後着だったからツアー客だらけだったよw


厳島神社の能は京都から毛利元就観世大夫を招いた最初なんだそうです。時代としては室町時代後期のことで、その頃は舞台がなかったので仮設で舞台を海中に設えさせて能を奉納したんだとか。

1605年に常設舞台が島の松の木で作られたもので、50年ほどで腐朽してしまって1680年に再建されたものが現在の能舞台なんだって。これは全国で4番目に古い能舞台とのこと。
※最古は京都の本願寺にある北能舞台

海の上に建っている事から、通常舞台の下に置かれている共鳴用の(かめ)がない代わりに舞台を1枚の床板にしているから床が太鼓の皮の役割をして音が大きく響く仕組みになっているんだって。


潮の干満によって音の響きが変わってくるという海上舞台ならではの特徴があるから通はたまらないんだろうなぁ。聴き比べなんかしちゃったりしてね。

ただ、この能舞台清盛の時代には無かったから清盛は知らないんだよね。





海上参拝

2016.12.17

翌日は、海からも参拝しちゃったりなんかして!!

おねーさん!あと1人!!あと1人乗れるよ!!!

あ、えっ?あ!!の、乗ります!!!

とか、思わずノリで乗ってしまった。ええカモやーん!!!でも鳥居をテクテク歩いて潜れる時間帯までいれそうになかった(この時は18:30頃)ので近くで見たかった物もあったからいいの!!(笑)

しゅっぱーつ!!

いい景色〜だけど寒い!風が冷たいwwですよね、真冬ですもの!!更新してる今暑いっすけども!!

あ、待って想像以上に揺れる。


ホワイトバランス蛍光灯になってる上にエフェクトダイヤル回してる馬鹿か!普通のちゃんとした写真が撮りたかったんだよ!!(叫)

この背筋がゾッとするNot水平具合の写真でお分りいただけるだろう。水平になんか撮れないよ怖いよwww自分から乗ったんだけど途中で降ろしてぇぇ!あ、だめ今降りたらわたし海中に沈むだめ!!カメラもiPhoneも壊れる(そこか?)

『えー、いつもより大きく揺れていますが〜、過去に一度も転覆しておりませんのでご安心くださいね〜!』

こえーよww


この船からの海上参拝ですが、勿論説明付きなわけで色々おじさんよりのお兄さん(以下おっちゃんにいさん)が話してくれるんだけど....

え〜厳島神社では、様々な奉納行事が行われているんですね。コンサートは過去に何回かあったんですよ。藤井フミヤさんとかね。僕もその時は行ったことがあるんですよね〜!!先日なんですが、厳島神社始まって以来初めて・・・・・・

あ・・・・・・ちょ・・・・・・・

ミュージカルの奉納が、



その先わかった・・・・・・・



















刀剣乱舞っていうね、ミュージカルなんですけども












あの日は、凄かったね〜〜!これでもかっていうくらい女性でいっぱい!!ゲームがミュージカルになったみたいなんだけど、人気なんだってね。知ってる人いますかね?刀が人間になってね、それがまたイケメンなんだって。ぼかぁよくわからない世界なんだけど、ほんとあそこら辺女性でいっぱいですよ!!・・・・興味本位に僕も行ってみようかなって思ったんですけどね。入れなかったよ〜!!いや〜〜すごい人気なんですねぇ。





............................オ.......オゥ;;;


ちょっと、リアル咽せしながら真顔を保った。←




海上参拝の良いところはね〜〜舟に乗りながら鳥居を潜れるところ!!潮が引いてれば歩いて行けるんだけど、海上ってのがまたひと味違って良いじゃないですか!!

くぐるよー!!!
潜った瞬間に乗船客と船頭さんたちみんなで参拝!

  • 大鳥居の扁額


海側は、厳島神社で社殿側は、伊都岐島神社(いつきしまじんじゃ)となってました。

厳島神社の御祭神って宗像三女神ですが、元々は伊都岐島神という神様が祀られていたんだそうで、三女神の一柱に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)という神様がいるじゃない?

伊都岐島名神(いつきしまみょうじん)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)声に出して見ても、"いつきしま"、"いちきしま"と、音が似ているから昔から同じ神様だと思われていたみたいなんだよね。

※諸説あって伊都岐島明神と市杵島姫は全く別の神様で途中から祭神が変わったという話もちらほら目にする事ありますよね。実際はどっちが本当なんだろうと思いつつ、其々の説を説いている方々を否定することにもなりかねないので真実追求は私は控えます。

み、見えた・・・!!

あー、流石に全部は見えなかったか・・・・この扁額の裏には"明治七年 甲戌四月二品熾仁親王謹書"と、書かれています。有栖川熾仁親王による染筆で明治8年に奉納されたものなんだそうだよ。

厳島神社のシンボル朱の鳥居が、白の鳥居だった頃からある扁額なんだろうね。明治といえば、いろんな記事で度々言っている明治政府最悪の法令神仏分離令厳島神社もまた明治政府に翻弄されたのです。そのひとつがこの大鳥居で、赤はだめだ、白く変えろと。神社側はそれは困ります...なんとかならないですか?って言いますよね、そりゃ。そしたら明治政府はこう返したわけです。

『だったら燃やしてしまえ。』

これには、神社側もわかりましたと言わざるを得なかったのだろう。仕方なく朱を削り取った神社の方々の無念は計り知れなかったと思います。

が、

腐りやすかったんだよね、ほらみろ。
程なくして、明治43年に国宝として修復が入った時再び厳島神社の大鳥居は朱の大鳥居として蘇ったそうです。よかったよかった...(あの美しい赤い社殿も砂で塗料を削ったんだそうですよ...)

  • 大鳥居の太陽と月(陰陽)


厳島神社に行ったらこれは忘れずに見て帰らなくちゃと思っていた太陽と月!!いろんな説があるみたいだけど鬼門封じみたいなことを聞いた事あります。


こんなに近くに来ちゃったよ♡(CV.山本和臣)

厳島宝物名品展

今回の旅の目的は平家納経だというのに最後にサラッと書くってどういうこっちゃですけども、いや〜凄かった!展示されているものどれもこれもが全て国宝なんだけど、展示数がわたしには最も丁度いい展示数で最高でした。1つ1つが印象に残りやすい数ってせいぜい10点位だろうと思うのですよ。私、美術館や博物館行くと疲れちゃって特にこれとこれが好きだった。ってものしか結局頭の中に残らないからね..どうせなら数点限定集中細部までじっくり鑑賞。これが性に合ってるってなもんで(だから行ったのに美術館や博物館の記事が極端に少ないのである。どれ書いていいかわかんなくなるし正直な話、記憶残らず忘れてる(笑))

毎年秋の名品展(10月〜11月あたり)で数点ずつ公開されるみたいなんだけど、やっぱりよそで見るよりこの場所で見たいじゃんー?でも、全部厳島で見るならきっと6〜8年くらいかかりそうだねwふぁーこりゃあ長期戦じゃん!無理!!!と早くも別の地でも見る宣言をぬかす。意識低い系審神者ですから仕方ない。←

  • 【国宝】平家納経

平 清盛 願文は、最初は繊細で丁寧な字で書かれていたけれど後半に進むにつれ段々筆使いが雄々しくなって来て清盛ってもしかしてせっかちだったのかな?とか思ったりして(笑)

平家納経修復の際は、風神雷神屏風図でお馴染みの俵屋宗達もチームに加わっていて清盛願文の見返絵は宗達が補作したものと言われておりまして、宗達らしい大胆で独創的な構図でうねるように体を曲げて草を食べる鹿が描かれています。実は、これ見るのワクワクしてたんだけども、更にですね、今回の厳島宝物名品展のチケット代わり・・・に、なるのかな?A6サイズのクリアファイルを名品展の拝観料支払い時にいただけるのだけど、それがこの鹿図の絵柄のものになっておりましたのよ!!もったいなくて使えてないよ!!


人記品宝塔品は、台紙もこんなに美しいものがあるのかとただただ感嘆の声を漏らしたのはいうまでもありません。願文に"善を尽くし、美を尽くし"とあるように展示品全てが、細部にわたって趣向を凝らされていて当時の最高技法だったのだろう芸術作品だわよ・・・・


平家納経奉納の頃、この時代は法華経が流行していたんだって。ちょうど平安時代後期〜鎌倉時代って習合神仏信仰の始まりみたいなもんだから、厳島神社は全体的に仏教色の濃い神社という印象が昔からあって、行ってみてさらにそれを感じたんだけど、それゆえに本当に平家納経が、神仏分離令で燃やされたりされることなくよくぞ無事に残ってくれていたよ・・・と心底思うんです。

これって宝蔵っていう神仏の所蔵庫があって、寄進後まもなくしてその宝蔵で管理されていたらしく、それが功を奏したというべきか・・・神の所有物である神物はたとえ政府であっても人が手出しできるものではないって事なのかな。宝蔵は手が出せなかったみたいですね。平家納経に限らず、仏教法具も沢山厳島神社には残ってるみたいで、それもこの宝蔵で管理されていたんだそうです。

おかげで、今日まで失われることなく、こうして今に伝わっているわけです。

清盛と頼盛(異母兄弟)の合筆による法華経。ここまでが清盛筆ここからが頼盛筆ってな感じで印があったので見比べしてました。10行ちょっとくらいが清盛で後は頼盛だったと思う(もう半年前だからその辺はもう適当で申し訳ない。メモも禁止だったからちょっと曖昧。)前半が兄貴、後半が弟ってのは覚えてる。←

弟の方が繊細な字を書くな.....などと見比べていたり。

紺紙に金泥って本当に映えて、素晴らしいよ。

  • 【国宝】太刀 銘:友成

わたしは散々ブログで言うけど刀に関しては、結局頭に入って来なくてよく見方がわからないので、アレなんですがちょうど館内に2、3人しかいなかった時に入ったのでのんびりじっくり見ていたらゆらゆらとした波紋じゃなくてなんて言うのあーゆうやつわかんないけど穏やかな瀬戸内海の水面みたいな揺らめきみたいのがねあったよね?ほらわかんないから表現できないもどかしさ!!でも、存在感あってなんだかゾワゾワしたのを覚えています。翌月に熱田神宮で再び見る機会があったけれど、なんでだろうその時は、全く違う刀に見えて不思議だったなぁ...はて...?(今となっては...私は絵にしろ何にしろ所蔵されている場所で鑑賞するのがいちばん美しく見れるという思い込みがあるからかもしれないなぁとか思っていたり)

  • 【国宝】古神宝類

特に、檜扇が素晴らしくって単眼鏡持って来て良かったって心底思った。馬や人がものすご〜く小さく細かく描かれているんだけど、その一人一人(もしくは一頭一頭)に全てきちんと顔が描かれているんですよ。どれだけ細い筆で描いたんだろう。鳥肌が立った程ていねいで細かい作業で・・・あの時ぼんやり眺めてたんだけど、おじちゃんが、君そんなにいいもの持ってるならこの扇、それ使ってみなさいな。って教えてくれなかったらたぶんここまで感動しなかったかもしれない。

最近巷では、美術館のちょい悪ジジなるものが、話題ですが・・・比較的私はこういったワンポイントアドバイスをもらうことが多いけど、その後にぶっ飛んだ質問を私が投げかけるみたいで、それは~・・・知らないな~;;;なんだ・・・・・・知らないのか・・・知りたかったのに・・・あれっ・・まだ質問、終わってないよ?どこ行く!!!!みたいな事になることが多いので、これといってないのですよね〜・・・害は・・・まぁ、あると言えば聞きたかったことが聞けず消化不良になるくらいかな?←

厳島神社御朱印


本社本殿前にていただけます。


丁度神社用の御朱印帳が終わった所だったから新しい御朱印帳は厳島神社で購入しました。ブログの更新をちんたらしていたらこの御朱印帳も実はもう終わってしまっているのは、ここだけの話だよ。

厳島神社詳細

〒739-0588
広島県廿日市市宮島町1-1
参拝時間:6:30〜17:00or18:00※web要確認
拝観料:300円
宮島口よりフェリーで約10分
web:http://www.sp.itsukushimajinja.jp



ではまた!!




続く!!
※今回は4記事構成になります。




special thanks:いらすとや様,ダ鳥獣ギ画