「ええ、ええ、おひとり様でも大丈夫ですよ。お待ちしておりますぅ〜」
電話口から、独特のやわらかい口調だがどこか忙しなさを感じる声が聞こえてくる。あぁ、最繁時だっただろうか....間が悪かったかもしれない。
「ありがとうございます。後ほど伺います。」
そう返すと、私はスマートフォンを切ってホテルを出た。烏丸御池から東西線で三条京阪まで、京阪本線に乗り換えて七条駅で降りる...ええと、確か4番出口だったか....。
昔は度を超える方向音痴だったものだが、最近はやっとそこそこ間違えずに乗り換えもできるようになった。間違えたら間違えたで後々笑い話になるのも旅の楽しいところだが、まぁ、すんなり行けた方がいいに決まっている。
4番出口を出ると、左手には鴨川が流れていた。2月の半ばの18時過ぎである。とっぷりと陽が暮れた鴨川は、まるで墨が流れているかのようである。その先には、京都タワーが煌々と白いライトで照らされていた。
1年前の2月19日、同じ時間帯に同じような光景を見ていた。偶然とは面白いものだ。そう思いながらぶるっと身震いをして白い息を吐く。
くるりと鴨川に背を向け、私は足早に先を急いだ。
七条通りを歩きながら目的地を探すと、それは直ぐに見つかった。店先に掲げられた大きなわらじが目に飛び込んできたのだ。
「こんばんは。」
のれんを潜り、受付にいた女将にわたしは声をかけた。
入洛の際、豊臣秀吉がここでわらじを脱いで休憩した事があるのだそうだ。それが、"わらじや"という屋号の由来である。
創業400年の老舗で名物は、うぞふすい。鰻料理の専門店だ。
店内は、丁度食事を終えた客で会計列が出来ている。メニューは、名物のうぞふすいのコースのみということもあってか、客層は中高年が多いようだ。
「お客さんおひとりさま?少々お待ちくださいねぇ」
忙しなく会計を続ける女将は、申し訳なさそうに言い、わたしは、頷く事で返事をすると、店内へ視線を向けた。他の仲居も厨房にいる料理人も忙しそうに動き回っている。
「お待たせしましたぁ〜!ごめんなさいねぇ、おひとりさま....でしたよね?」
「はい?」
首を傾げながらわたしの背後に目を向ける女将に、わたしは素っ頓狂な声をあげると彼女の視線の先へ目を向けた。そこには、いつの間にやら1人の青年が立っていて、
「あぁ、はい、僕も1人です。」
そう言うと肩をすくめた。30代半ば位だろうか、黒いPコートを着た短髪の青年が軽く笑う。
それを聞くと女将は、困った顔をして
「困ったわぁ、うーん、お客さん方ご一緒に食べなはったらお出しできるんやけどもねぇ」
「えっ」
「えっ」
私達が同時に声をあげたのは、いうまでもなかった。
わらじやの記憶
「・・・1人でも、大丈夫だったはずなんですけどね」
「わたしも、電話でさっき確認したんですけども...」
「僕も、来る前に電話で聞いたんですよ。鍋物の店は2人からの所が多いですしね。」
「あぁー、そうですよね」
・・・・・・・・・・・・・・
沈黙
気まずい。
さて、わたしたちは結局のところ混んでいるようだし時間も時間だからと
「...まぁ、はい。"相席"でも構いませんよ」
という結論に達し、
「そうですかぁ〜すいませんなぁ〜。」
そう言いながら、女将は近くにいた若い仲居を呼ぶとわたし達は、その仲居に一階の離れにある部屋に通された。
テーブル席が4席。すでに三席は埋まっていた。
わたし達は、スマートフォンを眺めたり時折周りの客をなんとなく眺めたりと特に話すこともなく沈黙が続き、他の席から聞こえてくる笑い声や話し声がなんだか妙に響いてくる気がした。
隣の席は、サラリーマン。ビールを注ぎ合いながらあーでもないこーでもないと職場の話をしている。最近の若いのは〜という中高年の定番の会話である。
斜め向かいの席は、品の良さそうな着物を着たご婦人達は楽しそうにお互いを褒め合っている。少し裏の意味がありそうで怖い。
真向かいも、スーツを着た三人組だ。
仕事帰りに老舗の料理屋で酒をかわしながらとりとめのない話をして仲間とう鍋と雑炊を食べる.....こういう付き合いのできる仕事仲間がいて、勤続年数に応じた付き合い方は良いものである。多少の語弊はあるかもしれないが....声が高い年代ではなく、低音になり始めた年代に似合う店なのだ。
あと、10年先もう少しわたし自身が落ち着いて来たら着物でも来てもう一度来たい店である。だからと言ってわたしは若いわけではない。昭和の女だ。中身が落ち着いていないのだ。
そんなどうでもいいことを考えていると、先ほどの仲居が抹茶を運んで来た。
「ごゆっくりどうぞ」
抹茶と小さな干菓子。
カシャリ
仲居が、部屋から出て行くと直ぐにシャッター音がした。青年がスマートフォンで写真を撮っていた。しきりにスマートフォンを、操作している様子にチラッと目を向けわたしも手早目に写真を撮る。
干菓子は、瓢箪の形でわらじやの文字入り。
抹茶を飲み終えると早々に先付が運ばれ、またしてもわたし達は、無言で1枚シャッターを切ると箸を進めていく。今思えば、傍から見たらわたし達は異様な2人組に見えたに違いない。
何を喋るわけでもなく、向かい合って座っているのだ。周囲は賑やかだというのに。
それにしても、こんなに気が滅入る食事は我ながら初めてだ。相席で食事をしたことは今までに何回もあるがこういった店ではなく...蕎麦屋だとか定食屋だとか、焼き牡蠣の店だとか。長テーブルでの話でそれぞれの部屋が隔離されているようなところでの相席は、あまりない。
◯◯しないと出られない部屋みたいじゃないか。
空になった先付の皿を仲居が片しに来た時、その様子を眺めながらほんの少しため息をもらす。
入れ替わりで、別の仲居が鍋を持ってやって来た。
そして、わたし達2人は、再び同時に声を上げることになったのである。
「お待たせしました、う鍋になります。」
「あぁ、はい、あ、先にこちらの方に」
「あ、いぇいぇ、お先にどうぞ」
「あ、いえ...こちら2人前になります。」
「「えっ!!」」
その時女将の言葉が、再び頭によぎった。
お客さん方ご一緒に食べなはったらお出しできるんやけどもねぇ
そう言う....意味だったのか。
わたし達2人は、思わずどうしたものかと、鍋を暫くの間眺めることになる。
「あああ、すいません」
突然、青年が私に向かって頭を下げ、わたしは、ギョッとして思わず声を上げる
「えっ、な、何がですか!!?」
「僕が、後から来さえしなけりゃ1人で食べれましたよね」
「あぁー、いや別に、そんな事は...」
確かに、鍋を見た瞬間うなぎ少なっ!?これで2人前?お麩のが多いじゃん!!!とは、思った。が、これを食べたくてここに来たのだ。それはこの人も同じだろう。
「まぁまぁ、なかなかこんな事もないでしょうし食べましょうよ。」
「そうですね、あ、写真撮ります?」
「そうですねぇ、撮りますか」
う鍋の。
とりあえず食べる前にまず写真。
なんとも不思議な時代である。FacebookなのかTwitterなのか....はたまたInstagramなのかはわからないが、この人は、写真を撮ったら直ぐにフリック入力するような仕草をずっとしている。
実況型か。なうとか言ってるのか?まぁいい、とりあえず冷めない内にう鍋を食べようじゃないか....ぎゃふんそうだったそう言う意味だと取り箸も一膳しかないわけじゃない。まぁ直箸なんてことするわけじゃないしいいか....ちょうどわたし側にあるしね。
「取りますよ。」
「えっ?あっ、取り箸店の人に....」
「あぁ、あはは大丈夫ですよ。」
「すいません」
ブツ切りのうなぎに庄内麩、九条ねぎに春雨...シンプルな鍋である。昔はもう少しうなぎの量は多かったらしいが、今は物価が高騰して....なんて話を聞いたことはある。
「...美味しいですね、これ。」
「.....うん、うなぎもグニャッとしてないな。美味しい」
自然と言葉が漏れる。
九条ネギとの相性がたまらなく良いのだけどもなにより出汁には感動した。それだけだとパンチが効き過ぎてしまうのだけど食材でうまく調和されているのです。この出汁だけでしあわせを感じてしまうほどだ。
「ところで、今日はどうしてこの店に?旅行ですか?」
箸を進めながら青年が私に言う。
「えぇ、旅行です。う鍋、前から食べてみたかったんですよ。旅行中は、何処かでご馳走食べたいじゃないですか。おにいさんは、こちらの方?」
「僕も旅行中なんですよ。ここに来た理由もだいたいおねえさんと同じかな」
「ははは、やっぱり旅していてひとつは印象が残る食事はしたいですよね。2泊3日位ですか?」
「2週間です。」
「へぇ、2週間....... 2週間?」
ひとり旅をしていると、不思議な事に必ず何処かで個性的だったり印象的な人に出会うことがある。今回のイレギュラー過ぎる出来事は当たり前だが初めての経験でその人物が半年以上経過してもなおぶっちぎりで個性的人物では首位に君臨している。
「あの...すいません。海外の方だったりするんですか?」
「あー、ははは。日本人ですよ、東京からです。有給、あまり過ぎちゃって無くなるのも嫌なんでいっそ旅行でもするかと仕事休んで旅行中なんですよ。」
「有給...ずっと京都を回ってるんですか?奈良とか...滋賀とかも行ったり...?」
さらっと良いよと許可する会社も凄いなと思いつつ、京都は好きだし住みたいとすら思うけど旅行で2週間はわたしは有給がどんなにあっても無理だ...資金面もそうだけど途中で気が抜ける日が絶対に出てしまう。もしかしたらあれか?さっきまでスマホいじってたのは株式市場かなんか見てたりするのかこの人は.....
「ずっと京都ですよ。この近くでウイークリーマンション借りててわらじやに通るたびに一回はここで食べとかないとって思ってたまたま今日来て、」
こういうことに。
「でも、2週間って海外旅行なら国々巡ったりとかありますけど京都だけってどんなとこ巡られたんです?」
「あぁ、映画やドラマ好きなんで、家でDVD観まくってロケ地巡りが主ですね。その近辺にある観光地とかも巡ったりしてますが。」
「へぇ!!それも面白いですね!京都舞台の映画....鴨川ホルモーとか...舞妓Haaan!とかですか?」
「クローズドノートと初雪の恋とかですね。南禅寺や知恩院でロケしてるんですよ。」
「へぇぇ〜!!南禅寺や知恩院、行ったことあります。綺麗ですよね、南禅寺。知恩院は修理が終わった頃にまた行こうと思ってるんですよ。」
なんてこった観る映画の不一致....
クローズドノートなんて、あの..."別に..."の件しか知らないし、初雪の恋に関しては全くその存在自体知らない....
さり気なく映画の事はスルーして南禅寺と知恩院に反応しておく。
「何しろ2週間もあるからDVDごっそり持って来てそれ見ながら次の日行く場所を決めたりしてるんですよ。」
(気付かれてない。良かった)
「あはは、確かに。たまにDVDに観入っちゃって出かけるの遅くなっちゃったりとかする日あったりして?」
「そういう日は、夜のシーンを中心に行くんですよ!」
マニアックだなおい...,
世の中には、いろんな人がいるものだ。
十人十色、ひとそれぞれ旅の仕方は違うということか。
「で、あなたは?」
「えっ!?」
「どんな旅をしてるんですか?」
「わ、わたしはーーー・・・えぇと・・・、刀剣乱舞のスタンプラリーガイドブック片手に気ままにふらふらと、ひとり旅にありがちな旅ですよ。普通の旅です...今日は嵐山とか巡ったりとかしてて...」
サラッと、嘘をつく。
そうこうしていると、再び仲居が、いつの間にやらほとんどなくなっていた鍋を下げにやって来た。少ししてまた、鍋を抱えてやってくる。
「うぞふすいでございます。熱いうちにどうぞ。」
「「おお〜〜・・・」」
これこれ、これを食べたかったのだ...!!
雑炊は、三つ葉にきのこと餅...ゴボウと人参も入っていた。それから主役のうなぎは白焼きだ。まだグツグツしていて卵でとじられたそれは、さっきとは打って変わってボリュームがある。
「お鍋、熱くなってますんで、お気をつけくださいね。」
う鍋の時は、正直なところ一人前なのではとか思ったりしてしまったわけだが、今度は逆に2人で食べきれるだろうか?などと思うわけで...
が、しかし....
「これもまた.....さっきより優しい感じの味ですねぇ」
「あっつ...!!餅が入ってるのか!」
不思議と、食がすすむのである。
出汁は、う鍋とは違う出汁なのだそうだ。う鍋のお出汁も好きだけどこちらのぞうすいのお出汁の方がわたしは好みだ。
ごはんが急激に出汁を吸って行くため、のんびり食べれば食べるほど米が膨れてぞうすいからおじや化していってしまうわけだが...餅のボリュームもあってか、だんだんとスピードは遅くなって行くのだ。
「そういえば、京都は、今何日目くらいなんですか?」
「今、ちょうど1週間目ですね。折り返しになりましたよ。明日は、僕は明日昨日の君とデートする。のロケ地を巡るんです。」
ええ.....この人あれか....もしかして、もしかしなくても恋愛モノが好きなのか?珍しいな...そんなこと言っちゃダメか....サイコサスペンスとかミステリーとかあわよくば妖怪モノが好きなわたしとは映画においては趣味が全くもって合わんな.........京都といえば科捜研の女とか、臨床犯罪学者 火村英生の推理だとか陰陽師だとかかげろう絵図だとかしか思いつかないんだけど...あとしつこいけど鴨川ホルモーとか...あぁ!あと本能寺ホテルとか!!
頭の中でひたすら京都舞台の映画やらドラマやらを思い巡らす。だめだ、レンアイのレの字も出てこない。女として終わっているのかしらわたし....。そうね、終わっているわ...。
「とはいえ、喫茶店やカフェなんかも巡っています。」
も、もう〜〜!!女子かよ!!
でも喫茶店やカフェなら話ついていけるぞちくしょう。
「京都って喫茶店も良い店沢山ありますよね〜。まだ、行ってないお店も多いんですけど市川珈琲や六曜社は、いつかは行ってみたいって思ってるんですよね。」
「六曜社は、初日に行きましたよ!あそこは、ほらあれが有名じゃないですか...」
「「ドーナツ!!!」」
「わー、いいな。今回も詰め詰めで来てしまったから行けそうに無いんですよね〜。美味しかったですか?」
「珈琲とドーナツが最高に合うんですよ!奥さんが作ってるとかで!!」
この青年は、淡々とした口調ながらもちょっとだけ熱を込めて店内の雰囲気も最高で映画にも出て来そうだ、行って正解だったと力説していた。映画本当に、好きなんだなぁ、そういえばわたしも学生時代は映画ばっかり見てたけど最近はめっきりご無沙汰で、年に1回か2回行く程度に、なってしまっていた。
そんな事を考えていたら、青年がスマートフォンを眺めながら声を上げる。
「へぇ...ここ23時までやってるみたいですね。今からでも行けちゃうくらいだな」
「あれっ?18時までじゃないでした?」
前々から行きたいお店は、いつか行く時のためにリストアップしている私は、はて?と思い呟く。
「あぁ、ええとね、地下にもあるんですよ。地下の方が23時までみたいですね。1階は珈琲店っていうみたいですね」
「そうなんですか!良いこと聞きました。覚えておこう...」
「明日は、どこら辺を回るんです?」
今度は青年がわたしに聞く。
「明日はー...北野天満宮(で、兄者に会いにいって)や二条城(で、吉行さんに会いに行く)ですね。あとは、以前から行ってみたかった変わり種のカフェがあってー、こういうかんじの丸い器にお菓子...飴なのかなんなのかはわからないんですけど、こんな風に蓋になってて....名前控えるの忘れちゃったんですが...」
「あぁ、綿菓子の?」
「は?えぇ、そうなのかな?綿菓子だったのかもしれない。(綿菓子だったか?)」
「それだったら、二条城のすぐ近くにありますよ」
「えっ!そうだったですか?名前が横文字でいつも名前忘れちゃうんですよね...毎回行きそびれているから今回は〜って思って。」
青年が◯◯◯ってお店ですよ。
と教えてくれた為、iPhoneのメモ帳にパパッと打ち込む。こんな名前だったろうか...?二条城のすぐ近くなら行ってみようか。※ちなみに私の言っていた店ではなかった。
そして、この話題に上がった2つの店であるが、その後のわたしの旅先での一二を争うほどの衝撃を味わうこととなる訳だが、それはまた、別の話である。
「こちら、水菓子になります。お客さん、そろそろラストオーダーになりますが..」
「僕は、大丈夫です」
「わたしも」
メロンと引き換えに、ほんの少しだけ残ってしまったうぞふすいは、餅化してしまっていた。結局の所、うぞふすいはボリュームがあり過ぎて食べきれなかったのだ。ある意味...2人で食べてよかったともいえる。これが1人だったらもっと残してしまっていたかもしれない。
最初、お通夜みたいだったけどなんだかんだで最後の方は楽しかったな...などと思いながら、お互い会計を済ませると、
「じゃあ、僕はこっちなので」
「わたしは、あっちです。」
「じゃあ、良い旅を」
「良い旅を!」
私たちは、お互い背を向けて歩き出したのだった。
電車に揺られながら、ふと思い出した青年の一言が頭をよぎる。
"ここ、23時までやっているみたいですね。今からでも行けちゃうくらいだな。"
アッ....しまっ....
限りなく普通にスルーしてしまった....!!!
ああああ....今思えば、似た良い男だった...あの後、いっそのこと六曜社あたりに一緒に行っちゃってれば...TwitterかInstagramあたりで繋が....
Twitterなんて、ダメダメダメダメダメあんなの見せられない畜生!!!
そこに恋は生まれなかったのだった。
注※
今回は、おそらく混雑していたのと閉店残り1時間半ほどだったためイレギュラーなケースかと思います。通常は、おひとり様でも大丈夫(TELで確認しているので)なので同じ鍋を見ず知らずの人とつつくということはないかと思います。