とある審神者の本丸

薩摩國所属の審神者による遠征記録報告書

【3日目】京の軌跡巡りの旅⑦伏見稲荷〜藤森神社+α(しつこくまた行く)


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さぁぁ!!ついに、ついに!!大詰めですよ!
面倒くさいからまとめて書きますよ!!←

こんにちは!雨李です!!!



さて、いよいよ最終日3日目です。
なんだかんだで寄り道の多かった2日目の旅。
故に、実は最終日結構余裕があったんですよ。

なので、行こうか行くまいか旅の計画を立てていた時に悩んでいた東寺に朝一行って来ました。

amelie43.hatenadiary.jp


その後、伏見稲荷神社へ。
到着したのは.....お昼ちょっと前でしょうか.....

ここは外国か!!?

というくらいの率で"人の形をしている"ものは、アジア圏の国の言葉数種が入り混じっていた。日本語とか社務所でしか聞いてないわー!!!

しくった!!!!


教訓:昼付近は伏見稲荷は行くべからず。

伏見稲荷大社公式HP:( http://inari.jp )

おっと!そうそう!!
伏見稲荷は、初日に行った建勲さんとちょっとゆかりがある感じだよ。建勲神社末社"義照稲荷神社"は、伏見稲荷を広めた"秦一族の守護神"を祀った神社なんだって。

参照:【1日目】京の軌跡めぐりの旅③建勲神社と三条大橋+α - とある審神者の本丸



殆どの人が....そこ眉毛だと判断しているのか...(笑)

明るくてもやっぱりちょっとだけここは怖い(^_^;)

千本鳥居にも行ったけど牛歩ですよ牛歩ww
途中でイライラしてきて、あ!小道発見!!!って
フェードアウト....みたいな(笑)

道があるからなんとかなる!!!


ん?

ん"ん"ん"っっ?


KoKoha、Dokodesuka?

と、いうハプニングあり♡
途中でちゃんとした道発見しました(笑)
まぁ、なんとかなりますってww

伏見稲荷大社御朱印

詳細&アクセス

お次に向かった先は......

藤森神社

10月に来た以来久々でございました!!

参照:とうらぶ聖地巡礼の旅 in 京都②粟田神社〜藤森神社篇 - とある審神者の本丸

あの時は、藤森駅下車で行ったんですが、今回ひとつ勉強になったのが、墨染駅のが近くてわかりやすいと(笑)


駅改札出て直ぐ左、1本目の道を更に左折して直進。4.5分歩くと右手側にあります。

際立って大きな木が見えるのでその木を目指していけば間違いなく着きます(笑)


超大雑把にiPhoneのアプリで描くとこんな感じ。



ここで既に私の中の鶴丸レーダー(なんだそれ)が働いてましたが(笑)


拝殿の先に....いる....いるぞ!!

が、しかし!!!

ここに来たら、まず最初に
この御神馬さん撮らないと始まらない私がいる(笑)


手水舎で手を洗って口を濯いでから...
まず、参拝だろう!真っ先には行けない!!!

いた、いたいた!!と、遠巻きに見る。

とりあえず、イケメンパウダー撒き散らしときますね!!!

拝殿からも撮っておきますね!!!



すまん、取り乱した。


さて、前回訪れた時の記事では神社の事についてあまり触れなかったので書いとく。

藤森神社公式HP:http://www.fujinomorijinjya.or.jp


藤森神社の起源は、平安遷都前からとか。
ただ、創建に関しては諸説ありはっきりとした事がわかっていないようですが、

社伝では203年に神功皇后三韓征伐から新羅凱旋した後、纛旗を立て、兵具を納め塚を造って祭祀したのが始まり、とされています。


元々は1つの神社としての"藤森神社"があったわけではなく、深草周辺の3つの神社が統合されて、現在の藤森神社になったようです。


東・中・西と、三つの座が本殿に設けられているのもこの統合によるものの名残なんだとか。


中座


本殿中座は、主祭神の素戔鳴(スサノオ)をはじめ、日本武尊応神天皇仁徳天皇・別雷命・神功皇后武内宿禰が祀られています。

本殿の左側に、こんな切り株がありまして、

"いちいの木"

この切り株が藤森神社の起源となっている"旗塚"とされているんだって。

この"いちいの木"。
これが、昨年の藤森神社参拝の時に下調べなしだったから参拝し忘れた例の"腰痛が治る"って言われている
ひじょーうに、腰痛持ちには有難い木。


新撰組の近藤局長も何回も通って腰痛治したんだって。


腰痛持ちなので、入念にお願いする。
まだ治っていないとこみるとまだまだ通わねばなりませんな...行くけど!!!




東座

深草の里藤尾の地に藤尾社が鎮座されたのが759年。
藤尾は、なんと伏見稲荷大社がある場所が社地だったんだそうです。

祭神は、舎人親王天武天皇が祀られています。

空海が816年に、藤森神社の前身である藤尾社の土地を請い稲荷社を造営し、更に室町時代(1438年)に入り、足利義教が稲荷山にあった祠を藤尾へ全て移動して稲荷社として改められ、藤尾社はというと、藤森神社へ遷されることになったわけですが...この話には色んなものがありまして(伝説も含まれる)簡単にいうと藤森側がまんまと狐に騙された...といった感じでなんとも因縁めいたものがあります。

伏見稲荷大社周辺の住民は今でも藤森神社の氏子なんですって。

藤森神社で毎年5月に行われている"藤森まつり"というお祭りがあって、藤森神社の氏子さんがお神輿担いで伏見稲荷にある藤尾社(末社として祀られている)の祠まで乗り込んで行き、

"土地返せ〜!土地返せ〜!!"
と囃し立てると、伏見稲荷側で
"神様はお留守〜!あと三年待ってくれ〜!"
と返すんだとか。

....空海が、なかなか食わせ者だな....とかね、色々調べてたら思ったよね....長くなるからいつか機会があったら書こうと思います。


西座

塚本社は、東山の塚本に鎮座しておりました。
祭神は、早良親王井上内親王・伊豫親王

火災に遭った事から深草に移動し、次は応仁の乱でも再び焼失してしまって、1470年に藤森神社に一緒に祀られる事になったそうです。(その時社名も藤森神社となったみたい。)

祭神の1人、早良親王は生前、ある戦に向かう時に勝利祈願に藤森神社で参拝、それを聞いた相手軍が戦意喪失して不戦のまま反乱を納めたんだって。藤森神社に生前縁があった方が後に藤森神社に戻ってきたとは、これも何かの縁なんだろうかね。







と、言うわけで、







鶴丸!!!


私事ですが、最近、ウチのお鶴さんはカンストしました!!

太刀の育成がのんびりだったので1年2ヶ月かけてのカンストでございました。長かったなぁ......



ここまで済!!


藤森神社御朱印

この"藤森大神"は、三座に祀られている12名の神様の総称なんですって。


それはそうと....

デカイ刀がありました...お祭り用かな?

詳細&アクセス

お次は....


前日に豊国神社&京博に行った時にギリギリの時間に行ったから気になったけど寄れなかった三十三間堂へ.....

amelie43.hatenadiary.jp

京都に行ったら東寺と三十三間堂はやっぱり行っておきたいですよね!!!



せっかく三十三間堂へ行ったのならば、目の前に京博あるわけで....昨日の今日ではありましたが、どうしてももう一度見ておきたかった刀剣があったのだよ。

と、言うわけで京博再び!!!

何が見たかったかと言うと.......


粟田口近江守忠綱です。



これは、もう凄かったんですよね!!!
前日も、ピクッと一瞬反応したよね。

唸るような刃文だった。

"自称"粟田口っていうところが、また、この人好きになりました。自称なのか...と(笑)


何故に今回の展示、図録無かったんだろう....。
無料で貰えるリーフレットは、素晴らしいシロモノでしたががが!!

図録...大人の事情があったのであろうか....
それから、あのキャプションとか掲載されてたりとかしたらもう最高だったなぁぁ〜〜(ちなみに、仏像エリアも凄かったのですよ。仏像マニアでは無かったのだけど今回の旅で新たな扉を開いてしまったかもしれない←)

でも、あの解読不能なメモ達もまた、旅の醍醐味だよね(笑)



図録が無かったので、多分本屋とかでも売ってる(のだろう)刀関連の初心者に優しそうな冊子を購入。


帰りの新幹線で読もうと思って(笑)

そして、最後の最後にもう一回(隣にありますしね)

豊国神社にお参りを。

せっかくだから絵馬も書いとこう(大丈夫大丈夫!イタイ事は書いてないよ!!!←)と。

撮り収め!!骨喰よ...いつか本体みたいよ...とこの時マジで思っていたのだけど、タイムリーに時は経ちまして現在、夏!!!

来月、徳川美術館で公開されるそうな!!!



行く!!行きますよ!!!!!



豊国神社御朱印
※あ!!豊国大明神書ける方いらっしゃったのか!!!おおお...!!!




ふ...終わったか....と、日も暮れ始めた空を眺めつつ
この時審神者は思ったよね。






あ....壬生寺行ってない.....


と。


スタンプラリーの景品貰わなくていいやとか思っていたから頭の中で四条大宮付近の事をスパッと頭の中から切り離されておりました!!ぎゃふん。




と、言うわけで、
2泊3日の京の軌跡巡りの旅
5ヶ月の時を経て........







後日談としまして、この日インフルエンザを貰い...2日後に発症。


1週間寝込み、この時の戦力拡充イベ参戦できず、不動くん入手ならずだったのは今では苦々しい思い出ですwww(まだ、online時代でしたからねこの時ww)




ではまた!!