7-3カンスト部隊(源氏兄弟+蛍丸)+極3で行ってみたものの、なんじゃこりゃwwwだったので極6のレベリングと生存値内番でMAXにするまで出さんぞ!!
キッコーマンは、あまりがっつかないことにします。当分の間ニホンGOをズラッと揃えてやる!!という任務を遂行することにしますよ私はァァァ!!!
ほら、きっと、どうせ!!年末年始とかに、期間限定鍛刀キャンペーンとかやるんでしょう?やるよね?
そのためにまた福袋的なパック販売とかやるんでしょう?どうせ!!そうなんでしょう?
課金すればいいんでしょううう!!!?
人はそれをがっつくという。
こんばんは、雨李です。
腰越に来た理由は、言うまでもないですよ。
この写真を見ればお分かりでありましょう。
腰越駅を出て直ぐにこの看板があるのでそのまま直進していくと
あったあった!!
で、左に曲がって......ん?左って江ノ電の線路では....
あっ?
うわぁー!!!
江ノ電めっちゃ近い!めっちゃ近い!!!!
線路が階段の目の前やん!!!そしてその時、我々2人は江ノ電線路沿いの住人の肝の座り方を....目の当たりにしたのだ。
線路を渡ろうとしていた時、ばあ様達の談笑が聞こえてきて線路脇にある階段をトコトコと降りてきたわけですが、
スタスタ....
スタスタスタスタ....
もう、普通にここいらの人たちはスタスタ歩いていくのだろうな。きっと私も住んでたらいとも容易く通ってるんだろうけども、二度見した光景だったよ(笑)
そんなわけで(笑)
満福寺
略縁起
正式名称(山号寺号)は龍護山医王院満福寺
真言宗大覚寺派の寺院です。
天平16年(744年)東国に流行病が蔓延した際、聖武天皇が行基に病を除くよう命じ、病気平癒祈願の寺"満福寺"を建立。
ご本尊は薬師三尊です。
小動神社の記事でも佐々木盛綱が、小動山に登ってそこから見た景色に魅せられて...という話をしたのだけど....
行基もまた、美しい風景に魅せられて、ここで祈ればきっと流行病も治るに違いない!!と、仏像を彫って祈りを捧げた所、たちまち流行病がピタリと治まったんだとか!!
なんでも...この行基さん、仏師としても有名で一本の自然の樹から神仏を彫ったと伝わっているそうです。
樹が、神仏に化身して民衆を救うっていう信仰で
"
義経と満福寺
一ノ谷、屋島、壇ノ浦と義経は平氏追討ちの功績を上げ、1185年鎌倉に帰還しようとしましたが、兄頼朝の怒りを買い鎌倉へ入る事が許されませんでした。
そこで、兄の許しを得るために一時滞在していた満福寺で書いた書状が、有名な「腰越状」です。
義経は、政治音痴だった、だとか頼朝は嫉妬深かっただとかその他諸々色々な話があったりするんですが、それらの様々な資料を読んでいてわかるのがどちら側を視点にしているかによってどちらかが善、どちらが悪という言われ方になってしまうわけですが、、、
どの時代でもそれは同じなんだなと複雑な心境になりますね。
膝丸が兄者兄者言うのと、兄者を差し置いて〜...という台詞にハッとくるものがあったりしてね。
義経と弁慶の石像
本堂前に義経と弁慶の石像があります。石が新しい...ここ最近作られたものか...弁慶が、腰越状の下書きを書いている所が再現されています。
本堂の欄間にも同じ構図の彫り物が....これを元に石像にしたんだろうね。屋根には源氏の"笹竜胆"も。
この彫り物、じっくり見てると首が痛くなっちゃうけども、本当に見事!!ここの彫り物も小動神社や浄泉寺のものに似てるな...と思って調べたらやっぱり、同じ彫刻師が制作したものらしい。(小動神社は推測だけど...欄間の彫刻は少し彫り方違うのが気になりますが....)
※関東大震災後に再建された時、彫刻師、内山良雲が制作したもの(昭和初期)
境内には、"弁慶が、〜したとされる"という、弁慶ゆかりの"モノ"がたくさんあるので、探してみると面白い。
石像のすぐ後ろに、弁慶が、腰掛けた"と、される"弁慶の腰掛け石。
この腰掛石、今ではお寺にいる名物にゃんこの昼寝石と化してるらしいです。私達が行った時は違う所で寝てたけど(笑)
名物お猫様。微動だにしないですよ(笑)
この、猫が怖くて仕方ないわたくしが撮れる位微動だにしない。
弁慶が、力試しに使っていた"と、される"手玉石もありました。お手玉みたいにしていたんだとか。どんな怪力なんだよぅ。
重さは不明。ちっちゃな穴がポコポコと空いておりました。
弁慶が墨をする為に水を汲んだ"と、される"硯の池。実は、これがある場所が、
霊園に繋がるトンネルの横にあったりします。
他にも、義経公手洗いの井戸もあったみたいなんだけど探しそびれてしまった(´・ω・`;)
トンネルに壁画が描かれていて気になってしまって入る。
興味がある方は見られると良いと思います。トンネル抜けた先はお墓ですので檀家さんや眠っていらっしゃる方々に迷惑かけぬよう....しらす丼有名らしいんですが....お墓並んでいるところの真上にあるのだね(^_^;)
姫み〜と共に、
『あ、あ、そこにあるんだ...うん..,』
と、言っていたりしました(笑)
本堂展示室
今まで回ってきたお寺とはちょっと違っていてなんだかミニ博物館みたい。
義経と弁慶ゆかりの地を全面に表現された空間でした(めっちゃ個性的)
入ってすぐに愛染明王の襖絵があったんですが、えらいリアルなのが・・・(撮り忘れる←)
その真裏に、義経の後ろ姿の襖絵
作者は佐藤雅さんという方でしたがこの方の情報が全く検索にひっかからない....
本堂内は、義経、静、弁慶の生涯が32面の鎌倉彫の襖絵がありました。
①腰越状
鎌倉入り出来ず腰越で足留めされていた義経は、満福寺で心情を綴り頼朝に届けたが、聞き入れてもらえず追われる身に。この腰越状から義経の最期までが襖絵で展示されています。
ピアノが何故かありまして弁慶が隠れていた(笑)たまに演奏会があるらしいですよ。
②義経と静
腰越状虚しく鎌倉入りが許されなかった義経は、自分の故郷であり評価してくれていた天皇を味方に付けようとしたものの、失敗に終わる。頼朝はかなりの兵力の蓄えもあったのでそれを恐れた朝廷側はあっさりと義経を見捨てたわけです。
※そもそもの発端の一つが朝廷に対抗する武家の政権を確立させたかった頼朝に一言もなしに朝廷から官位を授かっちゃったもんだから、「ふざけんなよ、何考えてんだ貴様!」と頼朝がキレたのもわかる気がするんでよね....
そんなわけで、京都から奈良の吉野へ向かい義経は弁慶や静御前と逃亡していたわけですが、吉野は女人禁制で吉野へ入ることが出来ず、静はここで義経と、別れる事になる。
この襖絵に対するキャプションとは異なりますけども、義経と別れて今日に帰る途中従えていた従者に金品を奪われ彷徨っていた所を捕らえられ参考人として鎌倉へ送られます。
この時、静は義経との子を身篭っていたんだそうだ。
これは、有名ですよね。
頼朝と北条政子に舞を踊るよう言われ、鶴岡八幡宮で舞をしたシーン。
"しずやしず、賤のおだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな 吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき"
義経への恋心を歌い、頼朝に激怒されるものの、北条政子が静の恋心を察して頼朝をたしなめ事なきを得ます。
そういえば、ドラえもんのしずかちゃんって、苗字が源で名前が静で、静御前から来てるんだって。
でも静御前って義経の愛人で、本妻別にいるのですけどもね(^_^;)
義経との子を出産した静でしたが、頼朝から、『生まれた子供が女児なら生かし男児なら殺す』と言われていて、産まれたのは男の子。運が悪かったとしか言いようがないです。産まれた子は、由比ヶ浜に流されたとも砂浜に埋められたとも言われているそうです。
うーん、、、惨い。でも、この時代の武将の子供に男の子が産まれたら因縁あった関係では仇討ちが必然的について来るわけなので産まれた時代が、悪かった..ですね。
鎌倉を追われ、雪の中を岩手県平泉の藤原氏の元に向かう義経と弁慶。
藤原秀衡は、義経を牛若丸時代でも匿ったことがあった人物。9ヶ月間は平泉で平穏(だったかはわからないですけども)に暮らしていましたが、秀衡が病死。
秀衡は、遺言で
"義経を主君として給仕し、三人一味の結束をもって、頼朝の攻撃に備えよ"
と息子の藤原泰衡に遺していますが、頼朝の圧力がかかり、泰衡の立場はかなり苦しいものであったため秀衡の遺言から背くこととなります。
かくして、藤原氏からも兵を向けられる事になった義経。ここも有名なシーンで衣川館滞在中に襲撃され応戦するも虚しくもはやこれまでか、と義経の盾となって仁王立のまま絶命したと言われています。
※襖絵のキャプションは生き残って義経記を書いたとも言われているとありました。創作含めてのキャプションでなかなか興味深いですよ。
⑧残照の中の義経
義経は、自害したと言われていますが
北海道の蝦夷地に渡ったとも言われている....という〆で襖絵は終わっています。
この襖絵は、漆画家の宮本忠さんが制作されたものです。宮本さんの詳細はHP参照して下さい↓
宮本忠 漆画館: http://www.geocities.jp/tadasimiyamoto/
こちらのHPは、iPhoneから閲覧すると文字化けしました。(safariとChromeで確認済み)一旦リンクを開いてからURLをコピーし、ドルフィンアプリから閲覧すると文字化け解消します。
天井画もありました。
義経や弁慶のフィギュアがいっぱい展示されていたんですが、義経ファンが全国からやってくるみたいなので奉納されたのかな?
弁慶が書いた腰越状の下書きと錫杖も展示されていますが、写真がガラスで反射しちゃってうまく撮れてなかった....江戸時代に作られた腰越状の版木(実物大)もありました。
休憩室には、源氏の紋入りの鎧が。
(誰とも関係ないらしいです(笑))
ここにも可愛い襖絵がありましたよ。
満福寺詳細&アクセス
龍護山医王院満福寺
〒248-0033 神奈川県鎌倉市腰越2-4-8
9:00〜17:00
拝観料(本堂展示室)¥200
江ノ島電鉄 腰越駅下車 徒歩3分
HP:http://www.manpuku-ji.net
続きます。
ではまた!!