とある審神者の本丸

薩摩國所属の審神者による遠征記録報告書

【 #京の軌跡巡りの旅_弐 外伝Ⅱ】蓋と器の話 (17.02.21+後日談)【蚕ノ社+α】


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"合"という漢字がある。
(しゅう)と口が組み合わさった会意文字である。

は、蓋を表し、は、器を表している。つまり蓋と器が重なり"あわさる" "あう"という意味を持った文字が誕生したのである。この合うという言葉は、常に相対する何かが必要であり単独では、成り立つことが無いのだ。

  • 10振の鶴丸国永を習させ乱舞レベル5にした。
  • ツアーの集場所は、〇〇だ。
  • 成には、水と二酸化炭素が必要である。
  • 〇〇と〇〇のアロマオイルを調した。

とまぁ、必ず何かと何かが必要なのである。上げるとキリがないが相対するものがある場合、不思議なもので必ずしも全てのものとうまくやっていけるわけではない。出てくるのだ。合わないというものが。


全てのものが合う世界があったのなら、戦争なんてないだろうし、アレルギーも血液型なんてものも無いのだろう。

余計な話は置いておいて、合う合わないというものは、人にしろ物にしろ場所にしろまたは、人ではないなにかともそう言ったことは起こるのかもしれない。


これは、そんな話である。
こんばんは、あめんぼです。
この記事が難産すぎて半年ぶりの更新です←


2017年2月21日、私は友人のマイコさんと京の寒空の下、ある神社へ向かっていた。それは、以前から興味があった神社ではあったものの、不思議と近くにいるのに時間がなくなってしまったり、時間があるにもかかわらず予定外の行動をしてしまい結局辿りつけなかった神社である。かれこれ2年ほどそんな事を繰り返していたのだ。

今まで、計画していた場所は大抵行くんですよ。行けたらここに行きたいというんじゃなくて、"ここには行く"と決めてる所って、確実に行ってるんです。でも、此処にだけは、本当に行くと決めていたのに、そういったことが重なって行けなかったんですね。大抵、今まで嵐山方面に1人で行っていた時は組み込んでいたんですが、何故だか行けていない。

そんな事もあってか、突然その時が来てわたしは少し浮かれていた。2月の中旬の冷気に肌にツンとくる痛みを感じながら最寄駅を降りると方向だけ確認してテクテクと神社を目指して歩いて行ったのだ。



その神社は、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)という神社である。京都には膨大な数の神社がある中、最古と言われる神社のひとつだと言われている。なんでも、平安京よりも古いそうで、創建年代は不明らしいが大宝元年(701年)以前には既に存在していたんだとか...と言うことは平城京もまだ存在してない頃でもある。ご由緒を読んでいた時、太秦 広隆寺と共に勧請されたと伝わると書かれていたので、広隆寺の創建が603年であることから年代的にはこの近辺なんだろうと思う。


蚕ノ社木嶋神社と呼ばれる事の方が多いようです。(嵐電も駅名は通称名の"蚕ノ社"の方です)境内に摂社の蚕養神社(こがいじんじゃ)がありますが、蚕ノ社という通称名はそこからきているとのこと。

この日は、雪も時々散らついていたし空は乱層雲で覆われ薄暗かったせいだろうか境内に入ると何とも言えない光景が目の前に広がっていた。(手前右の建物は社務所ではあるが無人だった。祭事の時だけ使われるのかもしれない。)

神社は森の中にある事が多い。

神社に参拝に行けば範囲や規模は様々ではあるが度々木を目にする。これは森...杜の方が良いのかな?杜=守り(護り)から来るという説があると以前旅先で散歩中のじい様に聞いたことがある。それが、本当かどうかは定かでは無いけど(ここ数年旅先で様々な話を聞く機会が増えたけれど諸説ありきが多いので敢えて"説"と言うことにしておく)言霊思想という日本固有の思想があることからそう考えても良いのだと思う。


それは、ここでも同じで杜の中にあるのだが、感じ方人それぞれ違うかもしれないけれど、私は少しばかり怖いと感じてしまった。数年前、熱田神宮に初めて参拝に行った時一瞬尻込みした事がある。それとはまた違う感覚で、なんとも表現し難い....。ただ、手入れが行き届いていて綺麗な神社だ。空気は、とても良いんですよ.....でも、なんかゾクリとする。あんなにここに来たかったってのに珍しいこともあるものです。

社務所(無人)の近くにあった方位石。


※別日撮影 2018.07.21

それにしても、"木嶋"とは、よく言ったものでここだけ本当に"木の島"のように社殿が森で覆われている。実際に、そう見えるから木嶋というそうだ。

木嶋坐天照御魂神社(木の嶋にいる天照の御魂の神の社)

この長い神社名は、直訳するとこういう意味になる。この辺りは太秦の森ヶ東町という町名なんですが、昔はこの辺は森だったんでしょうね。

上の写真は、実は先月1年半ぶりにどうしても知りたい確認したいことがあり取材を兼ねて1人で再度参拝に行った際、撮影したもの。2月の時より鬱蒼とした茂り方で、時間帯も2月は午後だったが、この時は午前10時。天気も快晴で2月と全く条件が違う...のだけど、うーんやっぱりなんとなくゾクリとします。

多分、そういう作りなんだと思うのです。木々や社殿や参道のそれぞれの配置。当時とは違う面も当然あるかと思うけれど、それによって風や空気の流れの違いが生じて五感から体感するそれが、恐らく人を神聖なものはたまた怖いもの、強いもの等いろんな錯覚を引き起こすのだろうと。昔の人はそれを知ってか知らずか、五感で感じて建造物を建てていたのかもしれないですね。


ゾクっとするのは、初回参拝時の固定観念が頭の中にこびりついていたに違いない。

拝殿


拝所

この先に、向かって右側が、蚕ノ社、やや左寄りに東本殿があり、左手側に小さな祠が並んでいる。現在の拝殿や拝所、社殿は明治に再建されたものなんだとか。


神紋が上・下賀茂(鴨)神社と同じ二葉葵なんですね。

不思議な鳥居と元糺ノ池

旅先で、この神社を参拝に来る方の5割(もっとかもしれない)はここが目的だろうと思うのです。かく言う私も最初はそうだったんですけれども。

三柱鳥居(みはしらとりい)。やっと、やっと生で見れた。嬉しい!!とはいえ、結界でも張られているのか?と思えてくるなんとも異界感のある鳥居ですね。普通鳥居は潜れますけども、この鳥居は中央に御幣が立っているんですよね。

この鳥居(というかご祭神も)に関しては物凄いたくさん説があるのですが...神社の由緒書きには景教の遺物かも?みたいな事が書かれてましたが、祈雨の神さまとしての信仰があるそうなんでそこら辺なんじゃないかなと個人的には思っています。(とはいえ、一緒に勧請されたと言われている太秦 広隆寺には十戒とほぼ同じ内容の十善戒っていうものが掲げられていたりしますので、景教と関連してなくもないとは思いますが...)


※十善戒 2018.07.21撮影

それにしても不思議な鳥居である。普通鳥居って門の役目があると思うのですが、この鳥居に向かうために潜る鳥居(もん)があるので、この鳥居自体が神座と言われてるみたいですね。

この三柱鳥居は、北野天満宮内にある伴氏社(ともうじしゃ) と、京都御苑内の厳島神社の鳥居と共に京都三珍鳥居と言われています。




※北野さんの伴氏社の鳥居は此方です。鳥居の台座に花弁があるのが珍しいんだとか。

初めて三柱鳥居の存在を知ったのは北斎漫画の三才鳥居を見た時。が、その時はパラパラめくってるだけだったんですけどもね...興味を持ったのが北野さんに狛犬の事を聞きに行った時、宝物殿に当時いた方と狛犬の話で盛り上がっていた時に下鴨神社の話が出てきて上賀茂神社下鴨神社について、ひとつまみ程度調べていた時に嵯峨天皇の時代に木嶋社にある糺の森(糺の池)を下鴨に遷したことから元糺ノ森(池)と呼ばれていると云うのをチョロっと目にしていて、それじゃあ、下鴨神社に行く前に蚕ノ社に行かなきゃなぁとか思っていたものの、先に述べたことが重なり行けずじまいで、結局先に下鴨神社に行ってしまってたのだれど。下鴨神社は、参拝に行かれてる方、とても多いと思うのですが、写真は一昨年、下鴨神社に参拝した時に撮影した元糺の森


元糺の池っていうのがあるはずなんだけどね...多分この辺の一帯の木が元糺の森で......

水がないよ

おかしいな...何故ないんだ...
※ある期間以外は最近は水が抜かれているらしい。

池の部分の画像データが壊れていてちゃんとした写真が無いのですが...なんとなく池に水がないのが見えるのがこの画像...しかなくて、多分電源入れた時ミスってシャッター切ったかなんかしたやつなので意図して撮ってないから見にくいのは大目にみてください。


木嶋社図絵画像 (国際日本文化センターより転載)

この元糺の池ですが、昔は木嶋神社前にあるコンビニあたりまであったんだって。今はコンビニや駐車場になっちゃってますが....時代が変わって今は周辺は住宅街ですからね...開発と共に埋め立てられてしまったのでしょうか。

上の木嶋社図絵画像は、1780年に刊行された都名所図会の再板本(1786年)ですが、この頃は三柱鳥居自体も神池に浸かっているのがわかります。木嶋神社の鳥居をくぐってすぐにある説明板にも古い写真があるのですが、その写真ではまだ三柱鳥居は水に浸かった状態ではありました。

どうやら昭和60年代に太秦地区での下水道工事で水脈に変化が生じたのではないか?と言われているようです。時期的にその頃から三柱鳥居から湧き出ていた水が減水し始めたらしいのですが、実際工事が原因かは定かではなく、詳しくはわかっていないんだとか。

ただ、完全に枯渇したわけではなく地下水がある為、土用の丑の日に地下から水を組み上げて池に水を張り、手足を浸して厄除け(諸病平癒)をする神事が行われている......とのことで、

2018年7月21日

土用の丑の日は、仕事だったので翌日に再訪。茅の輪....なのだろうか。輪というかアーチ状になっておりました。

あった!水がまだ抜かれていませんでした。地下水もやっぱり少なめなんでしょうかね...水位は低いですね。この、柵の向こうに三柱鳥居があります。

ここね。

鳥居には水が到達していない...この分野に関しては全く無知でわからないんですが、枯渇傾向にある湧池って元に戻ることってあるんでしょうかね...。湧水の中に佇む三柱鳥居、きっと神秘的なのだろう。

それにしても、この神社は本当に静かだ。この日は、午前中で既に37℃体感温度は2℃ほど高かったのではないだろうか。あまりの暑さにポタポタと汗が滴り落ちることしばしばだったものの、汗がスッと引いて行く。それだけ、一気に気温が変わるのです。これも木の島効果なんでしょう。それだけ全体的に木々で覆われ日陰が多いので、日向の熱風とわけが違う、涼風です。

この、手足を水に浸し清め厄を落とすという神事ですが真っ先に思いつくのが下鴨神社御手洗祭ではないでしょうか?拝殿にある神紋が下鴨神社上賀茂神社(あと松尾大社もでした)同様に双葉葵であると、先に挙げましたが、秦氏と賀茂は婚姻関係があるという事と、共に水と深い関係にある氏族である事からこういった神事に共通点があるのかもしれないですね。

おっ...!!?おおっ?

凄い、かなりか細いけど湧いてる


入っていいのよ?



ほぁーーーー?!!


あら...ごめんなさい。』

背後に突然なんの気配もなくお婆ちゃんに声をかけられ心臓が飛び出て変な声出た。(ノンフィクション)

うっ、す、すいませんすいません

折角来たんだから足付けてきなさいね。』

は、はぁ、でも昨日が土用のu関係ない関係ない1日2日位

そ、そんなもんなんですか?

正月だって人によっては初詣に行くのバラバラやないの。


まぁ、うん、そうですね、確かに。


だから水が張ってある内は、入ってもいいんよ。昔はそこにあるコンビニくらいまで水があったんよ。
※重複して先に書いていますがこのお婆さん情報ですのであくまで"あったらしいよ。"で受け止めてください。水域に関しては、史料までは漁っていません


あそこまで?ヘェェ、規模広いですね。うわっ、結構冷たい!!

ちゃっかりと、お婆さんに薦められるまま池に入ってきたのですが、これがまた冷たくて気持ち良い。生き返るようでした。(しかし、ほんとに入ってよかったものやら...)

さて、話は少し遡りますが三柱鳥居を知ったのは葛飾北斎の三才鳥居であると書きましたが、いままでまじまじ見た事なかったんですがこれ、木製の鳥居だったんですね。


葛飾北斎 三才鳥居 北斎漫画第十一集より

左側にある石灯篭と、三才鳥居の材質の描きわけがされているのがわかります。稀に葛飾北斎が描いたこの鳥居は蚕ノ社の三柱鳥居と書かれているものがあったりします。で、昔はこの鳥居が木製だったと。(中央に御幣がない事と人が潜れる云々ここでは、とりあえず置いておくとして)

気になって調べでみたんですけど、昔から石なんですよね。ネットはあてにならないとよく言われますが、昔は木製だったらしい。と、私がよく明確でない時につかう(←)“〜だったらしい” が多く(笑)具体的な根拠が記載されているものはなく、書籍も曖昧で材質がなんだったかとは触れられていなかったり、昔は木製だったという事だけ。参考文献もあたったもののこれといった記載はない。

ちなみに、上に転載した都名所図会にある、木嶋社の解説なのですが...


木嶋社解説画像 (国際日本文化センターより転載)

翻刻文がこちらなんですが、

世の人元糺(もとただす)といふ、名義は(つばひらか)ならず、中に三ツ組合の木柱の鳥井あり、

と、あるんですが、これ原本見ると違うのです。

木柱じゃなくて石柱なんですよ。これを見て昔は木製だったとネットや本で書かれているのか否かわからないのですが、もうかれこれ1年半、実はしつこく調べているんですが、相変わらず進展なしです。何で調べてるのかもう自分でもわからん。同時に、元糺といふ、名義は詳ならずも気になるところなんですけども(下鴨神社は元糺の森(池)と糺の森について書かれていないので)ただでさえ収拾が付いていないので、もう放り投げます(笑)禿げそう。


"石鳥居 八角の柱なり森の入り口にあり"

これも、三柱鳥居の事ではないかなと思うのですが、

今の鳥居は1831年に再興された時のものなので、それ以前に刊行された都名所図絵の絵からは八角の柱だったかどうかは簡略されていてわからないので、この三柱鳥居の事かどうかは、はっきりした事はわからないですが...

果たして北斎は、何を見てこの絵を描いたんでしょうね。北斎はよく旅をしていたといいます。物見遊山な旅ではなく疾風の如く速い速度で旅をしていたんだとか。とにかくよく歩き、走り、時には船や飛脚も使い、流れるような旅をする。そのまま、北斎の作風に反映されているようですよね。様々な風景や人、物の動きを記憶にスキャニングしていたのでしょうね。北斎漫画は、関西旅行の後名古屋に滞在している際描き始めたのが最初との事で、大阪や奈良、三重、和歌山辺りを回っていたそうなので実際に北斎が木嶋社の三柱鳥居を見た可能性は薄いのかもしれません。奈良にも大神神社に三ツ鳥居はありますが、形がまるで違いますし。(大神教院の三柱鳥居とは別物です)

都名所図会は、1780年刊行、北斎の生没年は、1760年〜1849年なので、もしかしたらこういった各地のガイド本(江戸時代はこういった本が多数発行されていたんだとか)を参考として北斎の創作物として描かれたのかもしれませんね。(全く何も見ず、本当の独創的なものだったとしたらもう本当に頭の中に入りたい...そのイマジネーションを私に分けて欲しい。)

最も、三才鳥居というタイトルからして天・地・人を表現しているのかなとは思いますが、何を描いたのかなぁという妄想をしながらの旅も(結果的に恐ろしく頭を悩ませる結果になっていますが(笑))また楽しいものです。

椿丘大明神での出来事

さて、ここまでで、すでに1万文字超えちゃっていてどうかしてるとは思っているんですが、記事の表題はここなんですが、、、

木嶋神社に入って、左手側...丁度社務所の向かい側あたりに椿丘大明神と彫られた石柱があります。この写真は7月の2度目の参拝で撮影したもの(色々ありましてちゃんとした写真がないのですが)なので、緑一色ですが、昨年2月の参拝時は、椿が咲いていました。(どういうわけだか画像データが壊れており写真がありません)記憶に焼き付いているのは赤い椿に、白狐の台座に意図しての事かそれとも自然に落ちたのか椿が置かれていてその様がどういうわけか不気味さと美しさを兼ね備えているというか。




眷属は狐です。神社にいる眷属はゆるふわな表情から険しい表情まで多種多様ですが、特に宝珠をくわえている白狐はかなりキツイ顔をしていて一歩引いてしまいます。鳥居を潜ると枝分かれした参道があり、末社の小さな祠が並んでいる。その奥に一番大きな洞穴の社があります。白清社と書かれている社。木嶋神社の入り口の由緒書にもこれだけ存在感があるにもかかわらずスルーされているミステリアスが過ぎる稲荷社である。


※なんとなく真正面からの撮影は控えました...

暗いね、なんだろ、お稲荷さんだよね?

ちょっと、なんか、ここは

鳥居をくぐったと同時に、ゾワゾワしたのですが、私はそういう系の人間では無いので全く今までそういうのは無かったんですが、あぁちょっとヤバイとなったわけなんですが、


中入れるみたいだよ?

えっ


普通に入っていくマイコさんに、なんで入れんだこの人(すまん)という驚愕の視線をマイコさんの後頭部めがけて送っていたわけだが、私も続いて入ってみたわけです。とてもじゃないけど中の写真は、撮ろうという気が起きなかったが、中にはお稲荷さんが祀られていて陶器?の白狐像が。賽銭箱や本坪鈴(ほんつぼすず)に鈴の緒までちゃんと揃っていた。


中は荒れていないしむしろちゃんと手入れが行き届いている。が、中に入ったと同時に、鼻腔にツンとした匂いがしたのだ、その時電撃のように悪寒が走ったのである。


なんか、やっぱりここ....

そうボソリと呟いた時、


パンパン

マイコさんが柏手を打った。


ちょっと待って怖い待って、待って怖い

反射的に言っていた。


お邪魔しm.....


バタッッ....



ヒッ!!!?



パンパン

お邪魔しま



この""の直後、マイコさんがわたしの目の前で崩れ落ちた。



待って待ってウソ!!ヤダヤダヤダ!!出るよ!出よう!!


マイコさんを引っ掴んで外に引っ張り出し幸いにも気を失ったわけではなかったようで、そのままわたし達は、足早に神社を後にしたのである。心臓口から飛び出すくらいそりゃあもうビビったんですけども、わたしも元々(朝からちょっと調子悪いとか除いて)神社で突然体調が悪くなるとか、波長があうあわないとかそういう感覚は、いままで体験したことがなかったので、今でもあれは一体何だったのかっていうのがずっと残っていて、感覚的にいうと飲み込まれたような感覚であった。


わたし、絶対こういうのないと思っててすごいなんかショックが激しい...


な、なんかごめん。こんな事になると思ってなくて...


いつぞやのカメラを電車に置き忘れたわたしの時のようなテンションになるマイコさんにはわわわ....と、なりながらヨロヨロと駅に向かって歩いて行ったのである。



後日談

地元に帰ってからもずっと何か、頭の中に残りすぎていて結局、性格的にまた調べ出すわけなんですけども、古墳の中にあったお稲荷さんみたいですね。天塚古墳という、秦氏のお墓に祀られていた稲荷社だったようです。

とはいえ、調べるにしても、そこら辺の本屋で売ってるような本には殆ど詳細が載っていなくて手当たり次第(眉唾な失敗本も含め)いろんな本取り寄せて読み漁ったんですが、全く見つかりませんでした_:(´ཀ`」∠):_資料館や図書館なかなか行くタイミング掴めなくてそっち側からアプローチかけてたらもうちょいなんかあったかもしれないんだけど、まぁ過ぎた話なんで...


ネット情報によると...明治に天塚古墳の石室調査をした時に木嶋神社境内にこの稲荷社を移築したらしいのだけどその後九島チカという人の夢枕にこの稲荷神が立って、お家(天塚)に帰りたいと。えっ?帰りたいって?

九島チカって人が祈祷師なのか巫女なのか普通の人なのかそこら辺はさっぱりわからないけど、このチカさんとその息子さんが組織立ち上げて天塚古墳に還したとか。今も白清社は木嶋神社内にあるので分霊なんだろうけれども....

天塚古墳は、嵐電 蚕ノ社駅からだいたい徒歩10分程度の所にあるのですが、木嶋神社と反対方向にあるので木嶋神社からだとだいたい15〜20分くらいでしょうか。


実は行きましてね。


わたし、釈然としないと調べ上げたくなるんですね。怖かろうと何だろうと。だから行ったんですよ....住宅街の中にあるんですけど、鳥居が立ち並んでいて、ここならきっとご由緒書きがあるに違いないと、で、わたしも遅筆ではあれ、一応ブロガーなので入り口を撮ろうとしたんですけどiPhoneがですね、iPhoneの電池残量が80%あったんですけど、カウントダウン始めまして


80,79,78,77,76,75......68,67,65......



と、



当然、ギャッ.....!!!!!と、なりましてiPhone落っことしたんですね。



←拾った時には既にこうなってました。
※その日1日充電してもうんともすんとも言わずにダメでしたが、次の日復活しました。が、画像関連ぶっ飛びました!!!



由緒書き以前の問題で、あああ、怖いだめだもうちょっと心の準備がいるものだったと、そのまま回れ右して私の精神が落ち着ける場所何処だ....北野天満宮だ。今すぐ北野さん行こう。と、なったのは言うまでもない。(((なんの成果も得られませんでした。)))なのでほとんど見れてません。もうやめとけって言われそうだけどリベンジに行きたいです。その情報一体どこから仕入れてんの?というネットに書かれていた由緒云々は天塚古墳にきっとあると信じている。再訪は...したい。心の準備が出来たら。



ついでに、広隆寺蚕ノ社までの道中、突然レンズのひとつ(比較的広角で全体像を撮影する時に使っていたレンズ)がぶっ壊れましてね、お前おちつけよ...と言わんばかりにずっとジージー言って白目向いたのと、画像がぶっ壊れているのが多々ありプレビューしながら鬼の形相になりましたよね。この画像は表示できませんとかいうもんだから。そして、恐怖のあまり思わずマイコさんにLINEしたほどだが、流石に天塚古墳の事までは言えなかったのでこうやってブログで報告しているところです。長すぎてここまでたどり着けてないかもしれない。




もうね、おいおいおいおい、もうさぁ、秦氏さぁー!!!どう言う事なの、わたしは肝試しやそう言うノリできてると思ってんのか超解釈違いなんですけど。民俗学的観点から物を見てますけど下手をすると水文学に手を出そうかとも思ったけど脳のシワが足りなくてついていけない。そのくらいの意気込みで臨んでいるこのわたしに何故こんな、何故こんな仕打ちをするのか。どうして心霊スポットだとかオカルト系観点で物を言ってる奴らにはスルーしてわたしにはこの仕打ち!!!ほんとマジでどうかしてると思う。レンズ壊したってわたし交換レンズ2本持ってるし!!スマホ電源切ってやーいやーい困ってやんの!!とか思ってんの?甘いんだよiPhone2台Android1台持ってるから!!!痛くも痒くもねーんだからな!!!そんなことない凄い困る泣くってもんだよ。レンズは直らなくて結局6万かけて新調...iPhoneもその後しばしばロック解除できなくなります助けて!!!



おとといきやがれってんだヨォォォ
※お前がだよ!!


は、はぁはぁ....、と、とりあえず、このくらいにしといてやる....


おぇ、オェェェ....怖カッタァァァ_:(´ཀ`」∠):_また調べにくるからな...?


書き方ひとつで、その神社の印象が様変わりしてしまうので、いつも勢いだけではなくて結構悩んで書いているのだけど、今回ばかりは気をつけて書くとかそう言う気が回らないと言うかなんというか。もうこれだけ重なりすぎると偶然も重なりすぎると竦み上がってしまうという。でも、氏神を祭ってるから変なもん祀ってたりとかそう言うんじゃ無いよって事ははっきり言っておきますね。


今はまだ、合わない(その時ではない)という事だろう。


蓋と器

蓋が小さすぎても、器が大きすぎても、うまいこといかないのだ。いつかピタリと合いたいものである。


くどいですが、決して心霊スポットではないですのでそこんとこよろしくお願いします。


そして、台風21号の影響で木嶋神社も大変な被害に遭われております。三柱鳥居は無事のようですが社殿は倒壊するかもしれないとのこと...これだけ色々あった仲ですし多少ではあるものの支援できるものならばしたいですが、義援金支援金等の情報が出てこないですね...京都の神社庁とかに問い合わせたら何か知ってるだろうか...近々聞いてみようと思います。

蚕の社詳細&アクセス

木嶋座天照御魂神社
〒616-8102
京都府京都市右京区太秦森ケ東町50
境内参拝終日可
嵐電 蚕ノ社駅から徒歩5〜10分

詳細は(これ以上長くするのもあれなんで)割愛しますが取材した寺社仏閣&古墳

喫茶ソワレ

2017.02.19&02.21

最後は、喫茶ソワレへ

実は、旅の初日に一度行っていたのですよ。日曜の17時頃でしょうか.....そうしたらですね、入口らへんにこう書いてありました。


本日のゼリーポンチは完売しました。

エッ!何いってんの意味わかんない。

....とは言え、

クリームソーダお願いします。所で、ゼリーポンチって何時頃に売り切れる率高いんですか?


ど直球に聞く。


そうですねぇ...日によるけど15〜16時前くらいかな?

わかりました...明後日リベンジしに来ます

お待ちしてます(笑)

キウイが入ってて可愛いクリームソーダでした!!
この日は、クリームソーダをのんびり堪能した後敗者の背中をしながらホテルに戻りまして...恋が生まれなかった例のう鍋事件に巻き込まれるのだった。トホホ


2日後 2017.02.21


実は、その前に本能寺も行ってますが、もはや覚えていない。割愛←

ソワレに到着して、ゼリーポンチ完売札も無いことを確認したのだけど、扉を開けると満席なので外で待っててと。それと同時に何だかんだ店員さん達が慌ただしい。

かと、思ったら....

すいません担架通ります。

救急隊員の方が店内へ入っていくという。
お店の人もエプロンしたまま荷物持って出てきたりしていて、え、何が起こった?唖然としながらも寒空の下ガタガタしながら外で待っていたんですが、

ガタガタっと、担架に乗って運ばれて行ったのは、店員の女の子であったという。(いらすとやさん女性ver.もよろしくお願いします。)


こ、ここでも人が倒れ....

・・・・・・

あっ・・・!!

と、いうのは冗談ですが、店員さんその後すぐ回復されてたら良いんですけど、健康第一ですよ。

今気づいたんですけど、ソワレの外観の写真にその時の救急隊員さんたち写ってますね。とはいえ、そんなハプニングがあった後続々と私達の後に行列が出来まして早めに来といて良かったと思ったのでした。

この後、どうする?

もうさ、寒いし帰ろうか...

わたしもそれがいいと思う。

などと言いながら待つこと20分程でしょうか...奥歯ガタガタしながら入店。お目当てのゼリーポンチを注文しました。

まぁ可愛い!!!

これ、舞妓さんが、こんなのあったら良いのにな。という要望に応えて作られた的な話をかなり昔に雑誌で読んだんですけど昔過ぎて雑誌はもう処分しちゃっているしそれらしい話はその後買った色んな雑誌や本には一切載ってないんですが、雑誌の脚色だったのかなぁ...?

たしかにキラキラして可愛いし、ゼリーは舞妓さんもパクリとスプーンで食べられますしね。今のご時世、インスタ映え的な感じなのかもしれないですけど、それより何十年も前からある昔からのメニューです。

が、


寒いな.....

冬は...あれだね


という、感想しかこの時は出なかったのだった。

喫茶ソワレ詳細&アクセス

〒600-8001
京都府京都市下京区西木屋町通四条上る真町95
営業時間: 13:00〜19:30(LO 1F18:00 2F 18:45)
定休日:月曜日(月曜が祝日の場合営業 火曜代休)
地下鉄 河原町駅 1A出口からすぐ。
Web:http://www.soiree-kyoto.com




くそ寒いよ‼︎も、もう、2月に京都は行かないんだからね‼︎‼︎‼︎



と、心底思ったのである。





京の軌跡巡りの旅・弐


次回、非常に矛盾しているシリーズものになります。3〜4記事予定です。






参考文献・史料: 続日本紀,梁塵秘抄,京都の寺社505を歩く(下), 北斎漫画,北斎漫画 動きの驚異,稲荷信仰と宗教民俗,京の古代社寺・京都の式内社と古代寺院,古事記, 秦氏賀茂氏,都名所図会( 国際日本文化センターより) 他多数

素材お借りしました
いらすと屋ダ鳥獣ギ画









実はこの、最終的になんの結論も出なかったこの1記事は、諸経費23万円かけて書きました(再取材のための交通費、書籍、資料取り寄せ代、レンズ代、レンズ故障修理見積もり代含む)きっと隅々まで読まれる程よい長さでは収まらなかったので我ながら馬鹿馬鹿しいことをしているなと真顔になっております。