とある審神者の本丸

薩摩國所属の審神者による遠征記録報告書

【 #鎌倉散歩旅2017 ②】鎌倉異空間ロード【圓應寺+α】


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鶴丸が修行に行ってしまった.....前記事で、兄者が修行に行ってしまったとか言ってた気がする....でも今日帰ってくるんだ。仕事終わって本丸に行くのが楽しみです。

こんにちは!あめんぼです。
前置き箇所だけ仕事の休憩時間に珍しく書いておりました。

さて、2021年の抱負として過去の旅を更新し尽くしてから県外遠征に行くとしたので(まぁどうせ昨年より新型コロナの感染者数やべえ数なのでこんなんなら旅とか会社のいうこと聞かんで行っときゃよかったわ〜昨年のうちにって思ったわクビになったかもしれんけどな。まぁ行かんけども。こう見えて保守的な人間なので...そんなこんなで、過去の旅を書きながら旅した気分に今年はなることにするよ。)頑張って更新していくぞー!!というわけで前回から始まった鎌倉旅の続きです。

圓應寺

北鎌倉駅を出てすぐの壁にあるとあるお寺の看板見覚えのある方も多いんじゃないかなと思うのですよ。

この看板なんですけど、子供の時家族旅行で鎌倉に行った時凄く怖くて仕方なかったんですけども...ほら、お婆ちゃんとかに嘘つくと閻魔様に舌を抜かれるとか言われるじゃないですか。

不思議なことに大人になったら子供の時怖かったものに興味がむいてしまって何故だか足を運ぶ機会が増えてしまっているものの一つが閻魔様だったりします。

幽霊だとか妖怪だとか鬱蒼とした場所とかも怖くて仕方なかったのだけど百鬼夜行とか幽霊画とかも公開されると率先して観にいっちゃったりしてるんだけど何でかな〜?といまだに不思議である。

で、数十年経ってやっと参拝に来たわけですが、

素通りした。

階段の前に石柱があったり山門の先に階段があったりというのが多いけど、石垣に先に添付した閻魔様の写真付きの看板が貼ってあるだけだったので、駅や道中周辺に掲げられているそれだと思って普通に素通りしてしまった。

あれっ?これ通り過ぎてねぇか...?と地図を見るとやっぱり通り過ぎている...おっかしいな...建長寺の向かい側付近のはずなんだけど...もしかしてこの階段??と登ったらあったのでした 笑

鎌倉の地形を考えるとなんとなくこういった作りのお寺は多いのかもしれないなぁ.....と更新しきれていない数々の鎌倉旅をしていた時のことを思い返している。

円応寺は山門を潜って拝観料を支払うとすぐ目の前に本堂がある小さなお寺さんです。

創建は1250年で、鎌倉の大仏様がある場所からほど近い見越獄(みこつのごく)にあったそうなのだけど過去2回お引っ越しをされていて鎌倉幕府討幕の際、犠牲者の弔いの為に足利尊氏由比ヶ浜に移築、元禄地震の後に現在の場所に移っているとされています。由比ヶ浜の頃は、新居閻魔堂という名前だったみたい。円応寺になったのは今の場所に移ってからなのかな?

御本尊は閻魔大王座像で国の重要文化財

本堂に本尊がある前提で別に閻魔堂があったり、寺宝として閻魔像を所蔵していたり...とうお寺は多いけれど、本尊が閻魔大王のお寺は珍しい気がする。

京都で引接寺(千本ゑんま堂)という北野天満宮の近くにあるお寺も閻魔大王が本尊だけど、小野篁が冥界を行き来していた井戸がある六道珍皇寺は閻魔堂はあるけれど本尊が薬師如来だったりするし、なにもないわけではないだろうけど数としては少ないんじゃないかなと思っていたりする。

円応寺も他のお寺さんと同様に堂内は撮影禁止なのでリーフレットの写真が全体像写っているので貼っておきます。

閻魔大王と運慶の伝説

この閻魔大王は、一説によると運慶の作であると言われていて不思議な話があるのだとか。

病で瀕死の状態となった運慶が、閻魔大王の前に引き出されると

お前は生前の慳貪心(けんどんしん) の罪により、地獄に堕ちるべきところであるが、もしお前が我が姿を彫像し、その姿を見た人々が悪行を成さず善縁(ぜんえん)おもむ くのであれば、お前を娑婆(しゃば)に戻してやろう
※ 慳貪心:物惜しみし、欲深いこと。

と、言われると息を吹き返し、閻魔大王坐像を製作、運慶は再び生き返った喜びで笑いながら彫ったため、閻魔大王の顔が笑っているようにも見えるの為"笑い閻魔"とも呼ばれている。

と、いうもの。

円応寺のリーフレットや鎌倉関連の書籍にはよく書かれている話だけれど、参考文献や資料の記載がなかったり閻魔大王の言葉が増えたり減ったりしているから内容は大体同じだけど、どれが正確なのかはよくわからない。別の呼び名もあって人喰い閻魔とか、物騒な名前もあるらしい。

昔の人って夢をかなり重要視してるとこある気がするんだけど、夢の中で言われたことに対して彫刻彫ったり祀れと言われて社殿建てたりとかしてね、まぁ全員が全員行動に移したわけではないだろうけども。

今じゃ、夢で見たから社殿を作る?何を馬鹿なこと言ってるんだいくらかかると思ってるんだよ!で、終わっちゃうよね。土地境界トラブルとかも出てくるだろうし?生々しいけど天の神様の言う通りとはいかないのが現代社会って事で、神様仏様も肩身が狭く住みずらいなぁとか言ってたりしてね。


興醒めしてしまうような事言っちゃうけど、運慶作とする為の後付け話だろうと思うのだけどいつ頃から言われ始めた話なんだろ。そう言う別に知ってどうするよ。な、ところ気になっちゃうのが私の悪い癖(杉下右京風)


さて、伝 運慶作の閻魔大王坐像ですが、
角度によっては笑っているのだろうか....いろんな角度から見たのだけど子供の時の怖いなぁと思った印象が強いのか笑っているように私には見えず感じ方は人それぞれかとは思うけれど、固定観念に囚われてしまっていたのかなぁ。冥界で響き渡る怒号のような威厳のようなものを感じたのだけど栃木県の西明寺の笑い閻魔のように口角もうちょっと上がってたらそう見えたのかもだけど、思い込みは発見を生まないなぁ...つまらない大人になってしまった...。

とはいえ、この閻魔様...頭がかなり大きいのですよ。だもんで激高しているように見えてしまって身がすくむというか萎縮するというか。不思議の国のアリス症候群みたいな奇妙な感覚に落ちいる感じ。

なった事ないからわかんないけども。

十王とは

十王は、人間の死後冥界で使者の生前の行いの裁判を行う十人の王でその審判によって使者の転生先を決定するとされている。

仏教はインド発祥だけど、十王が行う使者の裁判自体は、その後中国で考え出されたものなんだとか。

  1. 秦広王(しんこうおう)/本地仏:不動明王(初七日)
  2. 初江王しょこうおう/本地仏:釈迦如来(ニ七日)
  3. 宋帝王そうていおう/本地仏:文殊菩薩(三七日)
  4. 五官王/本地仏:普賢菩薩(四七日)
  5. 閻魔王/本地仏:地蔵菩薩(五七日)
  6. 変成王へんじょうおう/本地仏:弥勒菩薩(六七日)
  7. 泰山王たいざんおう/本地仏:薬師如来(七七日(四十九日))
  8. 平等王/本地仏:観世音菩薩(百か日)
  9. 都市王/本地仏:勢至菩薩(一周忌)
  10. 五道転輪王ごどうてんりんおう/本地仏:阿弥陀如来(三回忌)

冥界で死者が十人の冥王に出逢う順番なんだとか。確かに中国からだなというお名前ですね。本地仏がそれぞれに当てられてるけれど、こちらは諸説あるが日本独自のものであろうと言われている。細かいことは長くなるので割愛するけど気になる方は調べてくださいませ。(個人的に枻出版社の地獄と極楽という本が字がでかくて読みやすいです)

7日毎の忌日法要の日程で審判が行われているのがなんとなくわかるけど、いかに死者が手厚く供養されているか否かで判決が変わるとか変わらないとか........人望ってやつを調べるのかしら?

こういう事を言うと信仰ある方から嫌悪感を感じられてしまうとは思うのだけど、もあくまで後付け要素で話がどんどんと変化してこういったカタチ出来上がったと考えていて(個人的に道徳教育のために元々はなかった思想が生まれて付け加えられたと思っているので)、この話がもしも本当の話だったなら、今ってほとんど端折って法要を行ってることが多いじゃない?赤文字にした個所くらいじゃないかな〜と思うのだけど今の地獄極楽事情はどんな感じになっちゃってるんだろう?と、閻魔大王を囲むように並ぶ十王を眺めながら思ったりもした。

円応寺に参拝に行った後で、友人に話をしたのだけどその子が十王の事を知っていたので、おお?知ってるの?興味ないかと思ってたよ。と言ったら、アニメで閻魔大王の下で働いてる鬼(ドS)が主人公の話があってそれに出てくるんだよね〜と言っていて、それが"鬼灯の冷徹"という漫画であることを知ったのであった。(わたしは漫画はごく一部しか読まない...(ほぼ読まない)ので何となく認識はあっても知らんので、言っていいのかわからないけどSNSでクロスオーバーでその主人公が審神者やってる二次創作が流れてきて面白くて見てたことがあってその時に、ああ!!!これか!!!!と、知ったのであった。笑)


あれから3年が経ち、まさか鬼滅の刃全巻制覇(最終巻以外はi Booksだけど)するとは思いませんでした。珠世様と愈史郎が好きです。

円応寺御朱印

円応寺の御朱印十王という太くて力強いとても印象的な御朱印でした。力がみなぎってくるようだ。

円応寺 アクセス

〒247-0062
神奈川県鎌倉市山ノ内1543
拝観時間 3月〜11月9:00-16:00/12月〜2月 9:00-15:30
拝観料:200円
HP: https://kamakura-ennouji.jp
JR横須賀線...北鎌倉下車 徒歩15分
江ノ電バス....鎌倉駅行き→建長寺下社


長壽寺


参拝の順番が前後するけれど、明月院から円応寺に向かっている途中で足利尊氏菩提寺である長壽寺の特別拝観をやっていたので拝観することに。

長寿寺(正式には長"壽"寺と書く。)は、季節や曜日限定での公開みたい。

主に春(4~6月)と秋(10〜11月)と金〜日曜日と祝日限定での公開なのだとか。紅葉の時はお庭が赤く染まりとても美しいんですって。此処数年はずっと京都の紅葉を観に行っていたけど鎌倉も良いかもなぁと。いずれ、計画してみようかな。

向かい側にある建長寺の境外塔頭です。

撮影を目的としての拝観は禁止と入り口に注意書きが書かれていたので拝観料を納めたときにバッグにカメラをしまって本堂でお参りしていて、さてお庭を拝観させていただこうと思っていたら、お寺の方が

「ゆっくりしていってください。お写真も撮ってくださって大丈夫ですよ。」

と声をかけてくださったのでお言葉に甘えて少しだけ撮らせていただきました。

本来お寺はお参りする場所であって写真を撮りに行くために行く場所ではないのであくまで良識の範囲内でと良いですよという事かな?と、解釈している。


ただ、拝観に来られる方のマナー次第では全面禁止になる可能性もあるので注意書き通りに行動してお声かけしていただけたら撮らせていただく...が、良いと思います。

本堂から繋がっている書院と小方丈は5月後半の初夏に差し掛かる日差しや風が気持ちよく寒くもなく暑すぎず、服装もそこそこ軽装で過ごせることもあって体感的にも視覚的にもこの時期が一番過ごしやすいかも。

緑という色は目にすると精神状態も安定されると言われているし、落ち着いて景色を眺めるのはやはり緑が一番だなぁ....。

額入り障子が、わたしはとっても好きなのですよ。(刀剣乱舞の)本丸にも雪見障子の景趣あるけれど、直に庭を見るのもいいけど、数歩後ずさってこうやって障子越しに見る風景が風情があって堪らない!!

明月院同様に、サツキの花も咲いていて庭園のあるお寺さんに拝観させていただくと本当に手入れが行き届いていてきっちりと刈り込みされていて見事ですよね....人間でいうところのアホ毛とか癖毛みたいなものが一切無いじゃない。例え方もっとマシなものあるだろ?と、自分に突っ込みたいけどかしこまってもしょうがないのでその辺は目を瞑ってくれとしかいえない。

庭園を見るとやっぱり身だしなみって大事だなぁと思ってしまう。自分もメンテナンスしっかりしよう....遅いかもしれないけど 笑


苔に紅葉に白砂利の組み合わせが、本当に清らかで美しいところも魅力的。見ることに徹してしまったので全体的な写真は撮っていないけど、むしろレンズ越しで見るのはもったいない(これは何にでも言えることなんですが)ので肉眼で見た方が良いと思う。

3年半前の話を書いてるわけだけど、現在進行形(2020-2021)で四季のものに全く触れることが無くなってしまって、過去の旅の写真を見返していることの方が多かったのだけど(そもそもこれを機にさっさとブログの更新をしていけばよかったのにね)やっぱり季節を肌で感じるのは旅してる時だなぁとしみじみと感じている。

この時は、ふらっと拝観したので駆け足だった事もあって足利尊氏の毛髪が納められているお墓まで行けなかったので、また特別拝観の時期に拝観に伺わせていただきたく思います。

長壽寺アクセス

〒247-0062
神奈川県鎌倉市山ノ内1520
拝観時間:春季4〜6月,秋季10〜11月,12月初週,金・土・日・祝 午前10時~午後3時(雨天中止)
拝観料:300円
☎︎0467-22-2147


長寿寺を後にして、円応寺に向かっている最中になんだか異世界の入り口みたいな風景を目にしてしまって結界か?えっ...?そういやわたしいつも歩いてるのこちら側の道じゃ無いから見てなかったのかもしれないな.....と、思いながら通り過ぎた後また後ろ歩きして戻ってきたわけで.....


••••••凄い

異世界というか異空間というか結界感というか...この、入ってくるなオーラが凄いと言うか逆にこの門が開いていたら帰ってこれなくなっちゃう感があるというか。

お恥ずかしながら、わたくしここに神社がある事を知らなかったのだけど、(そもそも神社なのか....?建長寺と関連するような気もするけど.....)門がパタリとしまっていまして

ちょっと待ってなんで入れないんだろ、別の入り口があるんだろうか?うわー!!気になる!!!うわー!!!!と、うろうろ門の前で怪しい人物になってしまったわけで....気になりすぎて仕方なかったんだけど、鳥居に扁額が無くてなんという神社かわからなかったんだけど、第六天の由来という案内板を見つけてGoogleマップ鎌倉街道を長寿寺からなぞるように見て行ったら第六天社⛩とあったので、あぁ...これだ!!!と。

第六天社

やはり、建長寺と関連のある神社だったようで今は、山ノ内上町の鎮守だけど昔は建長寺の南方位を守るお社だったそうだ。

この時は時間の都合上建長寺は拝観できていないのだけど、建長寺は東西南北で四方鎮守されていて東は八幡、西は子神、南がこの第六天、北は熊野が護っていたんだとか。過去形なのは、今現在、建長寺の四方鎮守の中で位置と沿革がわかっているのは第六天社だけなんだって。

普段は完全に非公開で一般公開されるのは案内板を見ると例祭の時の7/15〜22の間のどこか1日と、元旦も門が開くみたい。どちらもかなり時間短いみたいです。HPもないし、氏子さんじゃないと日程わからないのではないだろうか...?門が開かれる日程にあわせていくの難しいですね...しかも2〜4時間位しか開かないみたいなので、ここの参拝は、有給取りづらい環境下の私は割と難易度高いかもしれないなぁ。

第六天というと織田信長を思い浮かべてしまうが、結構神社巡っていた気がするのだけど、第六天社をお参りした記憶がなくて、なんでだろ?と、思っていたのだけど、この一年コロナ禍で県外遠征を自粛していたので、けっこうな冊数の積読本を消化したんだけど、その中にタイミングよく見つけたんですよ。あんまり見かけない理由が。

積読されていた内の1冊だったかながわの神社ガイドブックによると、第六天は織田信長が信奉していた神様なので、後を継いで天下統一した豊臣秀吉が信長の言行は第六天の神威によるものと恐れて廃社させたんだって。だから関西には第六天神社がほとんど存在していなくて関東を中心に存在しているそうだ(明治に入ると神仏習合色の強さから多くの社が名前を変えたり祭神の入れ替えなどが行われたりもされたんだって。)

なるほど....私、旅の8割が関西だったわ....と、納得してしまったのだった。

安倍晴明石碑

鳥居(向かって左側後ろ)のところに、安倍晴明大神の石碑があった安倍じゃ無くてになっているね。表記違いのものって歴史上の人物結構多いけどあんまり気にしないものなんだろうか?

Googleマップを見ていたら、第六天社の道向こう一直線に結ぶように安倍晴明碑があったりするのよ。妙に気になってしまう。ストリートビューで見たら何にもなさすぎてなんでこんな所に...ってとこでしたけど次にこの付近を散策したら行ってみようと思います。

鎌倉の陰陽道って源頼朝の頃からみたいなんだけど、安倍晴明と頼朝って時代が結構ずれてないかな?と思っていたら、兼道という知家事(ちけじ) が住んでいた山内の宅は屋敷を建立の際、安倍晴明が鎮宅の符を押しており、火災に遭わなかったと吾妻鏡に記述が残されていて、頼朝が挙兵して鎌倉入りした時に中古物件を移築して仮住まいをしていたのだけどそれが、山内の宅なんだそうだ。

新刊吾妻鏡 巻1

新刊吾妻鏡 巻1

  • 作者不詳
  • アジア
  • 無料
※十月九日(p77〜78)に記載有

それから時代が過ぎて頼朝の時に陰陽道が盛んに取り入れられるようになって、でも当初は一流の陰陽師をかかえる事が出来なかったから私的な祈祷師(筑前住吉社の神官の昌長、伊勢の神職の子と称する大中臣頼隆(おおなかとみよりたか)等)を従わせていて、頼朝の武運を祈ったり、出陣の吉日を占ったりしていたんだって。

実朝の時代になってから安倍維範(これのり)や泰貞が呼び寄せられたみたいですね。藤木稟陰陽師 鬼一法眼シリーズとか読んでみようかな。

第六天社の狛犬

こちらの神社の狛犬ちゃんが可愛くてですね....みてくださいよこの愛らしい顔....

ぽかーんと空見てるみたいだ。鶴岡八幡宮にも、ぽけーっとしたゆる〜い狛犬いますけど、鎌倉の狛犬可愛い子が多くて和んじゃうな。日本全国で逢いたい狛犬がまだまだ沢山いる...早くまた狛犬巡りも再開したいな。

盗難にあった五体の仏像

鳥居の隣にポツンとあった建物にあった貼り紙を見て唖然としたのだけど、第六尊天を含む五体の仏像が平成18年に盗難にあっており未だ見つかっていないそうだ。

仏像の盗難は全国で後を経たないですね、何年か前に関西の無住寺を狙った窃盗事件が多発した時は、外国籍の古美術商が捕まって多数の仏像が見つかってととの場所に戻った仏像もあれば所在不明だったり、被害届は出したが写真が一枚もないので戻せなかった仏像なんかもあったそうだけど、転売されちゃっていたら下手したら海外に流れちゃってる可能性もあったりするものも多いんだろうな。

この第六天社も限られた日にしか開かれないという点で狙われたのだろうけど...15年も前の事を遡るのは困難極まりないかと思うけど、外国人窃盗なのかはたまた日本人なのかわからないけど、戻ってきてくれるのを祈るしかないですね。もどかしい事この上ないですが....。

いずれにしても罰当たりな事この上ないし、ろくな死に方しないだろうけれどね。

鳥居の前で10分くらいうろうろして参拝したわけでもないのに何故かここまで引き延ばして書いてしまったけど、それだけ印象深かったもんだから、フットワーク軽いうちに年越しを鎌倉でして、数時間の参拝可能な開門時間にするりと入って参拝したい.....!!あわよくば例祭の時に.....参拝したい。

巨福呂坂洞門

長寿寺→第六天社→円応寺...そして、再び道なりに歩いていくとぶつかるのが、この巨福呂坂洞門なんだけど、わたしこのトンネル大好きなのです。

トンネルって真っ暗で昼間でもジトッとした雰囲気があるものだけど、ここは天井が開放されているので光が差し込んで清々しい風すら流れくるわけですよ。

切り通しの崖崩れ防止のために作られたトンネルみたいなんだけど、切り通しだっていうのがわかる様に(イメージを崩さないために)こうやって天井を解放して作られたんだって。

なんとなーく、鎌倉街道は異空間な雰囲気が漂う道だなぁと感じます。

年月が経って蔦が這っていてこれがまたいい雰囲気出ていて、はぁー!!好き!!!とか思ってTwitterあげちゃお〜。ふふっっ!!っとかやってたらTwitter開くと同時に飛び込んできたものに思わずパカっと口があいてしまった。


ふぁっ・・・?っっく!!!←




ちょっと待て
ちょっと待て
ちょっと待て
ちょっと待て



ちょっと、待て!!!!




えっ?何言ってんの、今13時半なんだが・・・整理券配布現時点で16時半入場回だって・・・?メインがオチビサン展だってのに入れなかったら馬鹿じゃん!!!だめじゃん!!!何のんびりしてんのバカじゃん!!!!!!



行かねば!!!



ダッシュしたのは言うまでもない。





続く!

参考文献
かながわの神社ガイドブック(監修◉神奈川県神社庁)/かなしん出版

鎌倉 歴史と不思議を歩く(著 大貫昭彦)/実業之日本社
※↑共に廃版の為図書館か古書店にて閲覧or入手可
新刊吾妻鏡 巻1(国立国会図書館蔵書)