10月更新しそびれてしまった...なんてこった..!!!
そんなこんなでワクチン2回目接種し終えてさて...県内だけでもどっか行こうかなぁ...とか思ってたら寒くなって来てやっぱ引きこもろとか出不精になってるこのごろ。そろそろ活発に動く訓練をしなくてはならない...!!
こんばんは!!あめんぼです。
欲求を抑える訓練をし過ぎてしまった結果がこれである。
さて、2017年の盆休みに行った京都の旅は、思い出深い(いつもそうなんだけどね。)旅だったにもかかわらず毎回次こそは...次こそは..と思っていたくせにいつも更新しそびれていた2泊3日(2017.8.13〜15)のお盆休みひとり旅をそろそろ更新していこうかとおもいます。
熊野にはかなり憧れがあるのですよ。
八咫烏が好きだというのもあるのだけれど、熊野古道はいつかは巡ってみたいのだけどなかなか機会が無くて未だに行けていないので、後白河法皇が熊野権現を勧請した『京都三熊野』ってあったよな...と、ふと思いまして、2泊3日の旅の中で巡ってみようかな〜ラスボスは、念入りに計画を立てたいし!!(なんて思っていてあろうことか2020年の年間計画で盆休みに3泊4日の熊野参詣の計画立てていたらポシャりました泣きたい)
と、いう事で京都夏の陣2017です。
新熊野神社
2017.08.13参拝
朝一番に、新熊野神社にやって来ました。
京都駅でお盆休み期間だからかコインロッカー探しにまず手間取りもたついてしまった...ちょうど良いキャリーバッグが入るロッカーが全く見つからず...おまけにバスで行けばいいのに電車経由で東福寺駅から歩いてしまった 笑
市バス(208系統etc.)で『今熊野』までいけば3分位で歩いて行けたというのにとんだヘマを出だしからしでかしてしまったぜ...ついでにSiriに翻弄されて大幅に道を外して、私は今どこに...状態な一人ドタバタ劇を繰り広げながらやっとこさ到着。
普段は9時頃には目的地に着いているのに何やらこの日はなんだかんだで10時半過ぎてしまったよ。
本殿と祭神
本殿に祀られている祭神は、
京の三熊野では新熊野神社は新宮にあたります。
永暦元年(1160年)、後白河上皇が紀州の熊野大権現を勧請して創建、造営に関わったのは平清盛です。平清盛と言えば三十三間堂も造営しているけれど、二条天皇に譲位してから院政を敷いた時住まいとしていた法住寺殿の鎮守寺と鎮守社として建立されたのが三十三間堂(蓮華王院)と新熊野神社なんだって。
境内に、上之社、中之社、若宮社、下之社もありそれぞれのお社に祀られている祭神は計11柱
◉上之社 祭神••••速玉之男大神,
◉若宮社 祭神••••天照大神
◉中之社 祭神••••
◉下之社 祭神••••
熊野参詣って、昔は容易に出来ることではなかったから熊野の神様に人々の立願を取り次ぎをしてくれる山伏や熊野比丘尼などの熊野先達に代参してもらっていたらしいのだけど、平安後期〜鎌倉前期は劇的に熊野信仰をする人達も変化して立願者自身が直接熊野に参詣するようになったんだそうだ。
法皇や上皇の熊野参詣は、宇多法皇から亀山上皇まで374年間も熊野
当時の権力勢家の参詣回数が、下記の通りで
- 宇多法皇•••••1回
- 花山法皇•••••1回
- 白河上皇•••••9回(12回?)
- 鳥羽上皇•••••21回
- 崇徳上皇※••••1回
- 後白河上皇••• 34回
- 後鳥羽上皇•••28回
- 後嵯峨上皇•••2回
- 亀山上皇•••••1回
白河上皇以降、熊野詣の回を重ねる事が増えているのですが、これ院政開始の時に上皇が熊野三山に参詣する計画が宮廷の行事に入れられた事が関係しているんだとか。
ずっと、どうして伊勢ではないんだろう?と思っていたのだけれど、
天皇は伊勢の神様を信仰して奉仕する事で権力の支えとしていることから上皇は『天皇-伊勢の神』の関係に相当するもう一つの別の関係を作ったのが『上皇-熊野三山の神』となって院政期間の宗教対策があったんだそうだ。
天皇家が、天皇と上皇の二元構成であった事で、宗教の権威も伊勢と熊野で二元構成されていたんだとか。
これは個人的に思ってる事なので違うかもしれないけど、それが何故熊野だったのか?というのは、この頃の上皇は出家して仏門に入る事が多かったし、仏教要素の強い熊野三山だったのだろうなと思っていたりします。
ずば抜けて参詣している後白河上皇が34回(33or35回という資料もある)というのも35年に渡って院政を行なっていたと考えるとなるほどと納得してしまった。
※崇徳上皇は、院政を行わなかった(行わせてもらえなかった)けれど、一度だけ熊野詣をしているのは、父、鳥羽上皇が出家して法皇になってから最初の熊野御幸に崇徳上皇を同行させたからなんだとか。
新熊野神社の八咫烏達
御神幕に梛の葉を咥えた八咫烏発見!!
速玉大社の速玉宮にある幕と良く似てる気がする。
屋根には、阿吽の八咫烏がいるー!!脚がめちゃくちゃリアルだ....!!!なんとなく新しく取り付けたのかな?という感じで比較的ここ数十年の新しいものなんじゃないかなと思う。
本殿の横に並んでいた絵馬は、屋根や御神幕のスリムカラスとは違ってぽっちゃり系八咫烏でかわいらしい。
なんだか、頭部の毛がモヒカンみたいになってて面白いなぁ、
そういえば、不思議な木があった。
木が不思議というより、木の植え方が奇妙というか...木の周りに若木がぐるりと取り囲むように植えられているという...。
何でこんなふうに植えられてるんだろう.....?
結界とか召喚とかされちゃってるみたいに見えちゃったよ。
自然に生えてきたとかはこんな等間隔で無いだろうし、進入禁止とか?でも大きくなったらどうするんだろう。もうある程度成長した木の周りに若木だから先にある木が根付いてるだろうからそこまで大きくなれないんだろうか...そこら辺想像しかできないや。
境内を散策していたら、京の熊野古道という看板があって階段を登っていったらアクリルケースに何が展示されてる..?
熊野本宮大社旧社地の大斎原
以前、熊野本宮大社は熊野川,音無川,岩田川の合流点にある
残念ながらまだ熊野本宮大社の参拝が実現できていないので現在の規模すら体感していないのだけど、旧社地は今より約8倍の規模だったそうだ。
昔は橋が架かっていなかったので、当時の参拝者達は川を自ら渡って着物や身体を濡らしながら中洲にある本宮へ向かった川で身を清めてから参拝するのがならわしだったのだとか。
熊野速玉大社 神倉神社のごとびき岩
お参りするまでの道中がサバイバルらしいので、体力つけなくてはな...と、昨年、どうぶつの森やりたさに、Nintendo switch買った時にリングフィットも買ってたんだけどTVに繋ぐのめんどくさくて1回やったきりで箱にしまっちゃってたのを思い出して埃まみれになった箱を引っ張り出して、毎日拙僧の筋肉を唸らせてるところだ。
くだらん話は置いといて、
これは、もしかして『御燈祭り』じゃないですか?TVでしか見たこと無いよ...それでも、う、うわうわ凄い....と心拍数早くなったくらいだから実際見たら不整脈起こるかもしれない。
男の祭りだから、近くでは見れないかもしれないけど、"山は火の瀧、下り龍"を遠くから見てみたいなぁ...。
別社の飛瀧神社の御神体で高さ133mもあるんでしょう?わたし実は滝ってあんまり見たことがないのですよ。憧れの滝だったりして、実際見たら感動するだろうな...。
熊野三山のもの(それ以外のものも何個か)は特にキッチリとヤスリかけて木の切断面を平らにしてしまっていないところが、凄く山や滝や川の雰囲気が出ていていい感じ。
熊野三山の木絵(板絵?何系の絵なんだろこのジャンルは...)にもちょこっとワンポイントで描かれていたけれど、単体で八咫烏もありました。
足の部分だけ別の硬い素材で作られてた。
(左)神:
(中)神:
(右)神:
中でも存在感を放っていたのが、花の窟にまつわる神話が描かれたもの。
樹洞があった木だったのかな?(くり抜いたのかもしれないけど)素材で表現されていて凄いなぁと思った。三重県の花窟神社の例大祭も描かれていて錦の御旗に見立てた御縄に果物や扇が吊るされる!!
いろんな神社で年間通してお祭りありますけど、本当にそれぞれ特徴的で、興味そそられてしまう...わたし、
なかなか長期休暇取れるのも限られてるからまずは近場からじわじわと攻めていこうかな。
伊奘冉と伊奘諾の国造りの様子を描いているのだとか。
奉納作品なのか、神社の方が描かれたもの達なのかはわからないけれど野外でこうやって見て回る事殆どないのでユニークだなぁと思いました。
熊野曼荼羅や日本神話が描かれたものもたくさん展示されていてとても面白かったんだけど最終的に蚊がすごい!!かゆい!!!忌々しいくらい痒い!!!!とかなっちゃって、さすが夏だな....とカイカイしながら見ていました 笑
また関係ない話するけど、新型コロナで県外遠征自粛するようになって元々神経質な気質が更に神経質になってきて家でも職場でもどこかお出かけした時でも欠かさずに消毒用品を持ち歩いて暮らしているのだけど手を消毒するのは勿論なんだけど足も毎日毎日消毒していたんですが、2020年、2021年の夏は蚊に一度も刺されなかったんですよ...。何年か前に何故妹ばかり蚊に刺されるのか?と16歳のお兄ちゃんが蚊の研究を始めて人間の足に常在する菌の種類で蚊がよりやすいと発見した話を見たことあったの思い出した。全く刺されない。来年以降夏に旅した時ためしてみよう。
後白河上皇御手植えの樟
境内入ってすぐの左手側に樟社があるのだけど、これがまたとんでも無く見事な大樟があって、後白河上皇お手植えの樟なんですって。
よく、道に迷った時行き先が神社だったりすると一際大きな木だったり緑を目指して歩いていく事があるのだけど(そしてだいたいそこに辿り着く)この大樟さんもまさに目印になる大きさです。
この時は、見上げてそのままうっかり帰ってしまったのだけどもう一回参拝に行って樟社に入りたい(入るの忘れちゃったのですよ...なんてこったい)
樟といえば、上京区に平清盛お手植えの樟も若一神社にありますよね。以前、座敷わらしがいるとかTVで見たことあるけど、こちらもいつか参拝に行ってみようと思っています。
新熊野神社 御朱印
新熊野神社の御朱印は烏文字で、宮司さん曰わく熊野は神仏習合の先駆けだから"社"と"神社"の2種類があるって言っておりました。御朱印自体は全部で4種類この時はあって、2種類いただきました。
向かって右の能の御朱印が"社"左の樟の御朱印が"神社"になっています。
帰り際、お守りをいただきました。
ピンクとか青とか何色か色があって、緑にしてみました。中に梛の葉っぱが入ってる手作りのお守り。御朱印を2種類いただくとくれるみたいですね。(後で知った)
なかなか宮司の方がお話好きの方で、マシンガントークに圧倒されて神社を後にした後、ハッと気付いたのが、あの不思議な植え方の木のこと聞いときゃよかったな.....でした 笑
熊野神社
※2017.08.13参拝
さて、お次は神宮丸太町まで行って熊野神社にやって来ました。ここは、後白河法皇が京都に熊野大権現を勧請する以前からある神社。
京都にある熊野系の神社では最古の神社になります。
京の三熊野では『新宮』にあたります。
こちらの神社は、日本サッカー協会公認のサッカーお守りで有名ですね。本殿に飾ってあって、ああー!!見たことあるぞ!!!となりました。
日本代表のユニフォームにあるヤタガラスのエンブレムが刺繍してあってかっこよかったですよ〜。サッカーやる方やサポーターの方とか京都観光された時参拝されるといいかもですね。
本殿と祭神
弘仁2年(811年)、日圓が紀州の熊野権現を勧請し創建。後に、聖護院の鎮守社になったそう。
聖護院は修験道のお寺で、白河上皇の最初の熊野御幸を先達した僧
熊野神社の御本殿って下鴨神社の旧社殿が移築されたものなんですって。応仁の乱の際、焼失して(二条より上は殆ど焼け野原だったからその時は下鴨神社の社殿もまた消失してしまったのだけれど)しまってから荒廃していった熊野神社なのですが、
1835年は、式年遷宮が行われた年だったので遷宮で建て替えされた時に移されたんですね。(現在は、世界文化遺産に登録されていることから伊勢神宮のように一から全て新しく建て替えする事はされないので式年遷宮=修復が行われています)
下鴨神社の御祭神には、神武天皇を熊野から大和へ先導した
木造の狛犬
木造のどっしりとした体格の狛犬がいました。
目は...玉眼になってるから生き生き具合が増してるなぁ。白目部分がとてもリアルだ...。
拝殿の柱にいた獅子鼻が、おやっ?と思って撮っておいたものがあって、やっぱり向かって左側の目に違和感があるなぁと拡大してみたら....
あー!やっぱり!!着色されてる。
目玉が外れたか割れたかしたのかも...?木鼻は高い位置にあるから近づいてマジマジと見ることもできないし目立たないけど応急処置なのかなぁ...?いつか修復してもらえると良いね。
熊野神社の八咫烏達
神前提灯にキョトンとした顔が可愛い八咫烏がいる!!
拝殿にも八咫烏がいます。提灯もそうでしたけど3本足を強調されていない感じ。
鵜っぽく見えちゃった私がいたのはここだけの話だ。
門にも烏のシルエットが。
こちらも翼を広げて飛んでいる八咫烏で足は無かった。3本足を強調して描かれていたり像があったりする神社が多い気がするのだけどそこがすごく印象に残っていたりする。
絵馬も八咫烏。
この絵馬の八咫烏なんだかめっちゃ可愛く無い?笑
ユーモラスな烏ちゃんですね。あと、
もしかしたら、熊野神社にいる八咫烏達は、この牛王神符の
拝殿にある彫刻に松に留まる3羽の烏が唯一足が見える烏がいて、3本足なのかな〜とよく見てみると...
ありゃ...1羽につき1本ずつしか足が見えなかった...
3羽で3本の足だったのでした。
熊野若王子神社
※2017年8月15日参拝
京の三熊野、三社目の熊野若王子神社は旅の最終日の朝一番に参拝しました。
とはいえ、実は寝坊しちゃって本当はもうちょい早く着きたかったのだけど9時半過ぎになってしまったんですけどもね 笑
はー!!着いた着いた〜と目の前に飛び込んできた光景が緑が鬱蒼と茂っていて、なかなかの異世界の入り口みたいでドキリとしたりして 笑
哲学の道の南端にあるので、永観堂側の哲学の道を目指して行けばわかりやすいかと思います。
鳥居の手前にある石橋は、吉良家が寄進したものなんだとか。忠臣蔵で敵役で描かれちゃってるので有名なあの....(最近年末時代劇やらなくなっちゃったよねぇ。)
周辺はまだ人も少なくて、とっても静か。
耳を澄ますと水の流れる音なんかも聞こえてきて涼しくて気持ちの良い朝。
御神木 梛
鳥居の手前に大きな梛の木があったのだけど、枝が幹に沿って上に向かって伸びてみたり蛇みたいにうねったりして不思議だなぁ...
梛の木の説明板に吉良家が(鳥居前の)石橋を寄進した時に、紀州熊野から苗木を植樹されたものとあった。
鳥居を潜るまでに時間がかかってしまった....。
いざ...!!
本殿(拝殿)と御祭神
後白河上皇が、新熊野神社とともに1160年に熊野権現を勧請して、禅林寺(永観堂)の鎮守社として創建された神社で、"若王子"神社という名前は、紀州那智権現の
御祭神は、
この時は、滝まで行っていないのだけれど神社の奥に洛中のお滝という那智の御瀧のミニチュアver.の滝があるそうで、後白河上皇は熊野御幸をする際、この滝で身を清めてから出発していたんだとか。
狛犬
熊野若王子神社の狛犬さん、シュッとしていてかっこいいのよ...アスリート体型じゃん素敵...!!!
狛犬さんって筋肉質な子だけど、どちらかというと丸っこい感じの子が多いじゃないですか...時々こんな感じでムチムチじゃなくて気持ち悪くない位の筋肉かつ大型犬体型の狛犬さんに会うとテンションぶち上がりますね...。例えるなら...ジャーパンシェパードとドーベルマンを足して2で割ったような体型...丸っこい子は筋肉質だけど丸っこく見えるブルドック系といったところ...なんて言っても狛犬って犬じゃないんだけれども犬ってついてるからついつい犬と重ねて見てしまう 笑
牛頭大神
この牛が不思議で、天神さんも祀られてたりするのかしら?って思ったのだけどそうではなくて牛頭大神と台座にあって、昭和28年に奉納されたものみたいですね。聞くの忘れちゃったけど、単独で祀られているみたいですね。
熊野若王子神社の八咫烏達
八咫烏の絵馬!!
京の三熊野三社とも絵馬は共通して八咫烏でした。
それぞれの八咫烏特徴的で面白かったです。嘴に鼻の穴が見えるので、神社の方がどこまでカラスの生態を把握してるかは定かではないけれどミヤマガラスがモデルなのだろうか。
日本にいる主なカラスはハシブトガラスとハシボソガラスがよく見かけるカラスで、時々見かけるのがミヤマガラスの3種類(全部で7種類国内にいるけど季節限定だったりする)なのだけど、今度近くにカラスがいたらちょろっとみて欲しいのが実は鼻の穴が見えるか見えないかなんですよ〜!!わたし学生時代動物の生態系を学んでおりましたのでカラスはちょっと齧ってるのよ。
鼻がある部分ほとんどのカラスは
この子は、以前上杉伯爵邸で出逢った子なのだけど、遠くから撮ったからトリミングするとガサッとして見にくいかもですが、鼻の辺りが毛で覆われているのわかります?この子はハシボソガラス。
ハシブトとハシボソってくちばしの太さや形状の違いがあるんですけどだるまさんが転んだ状態で止まっててくれないと見分けるのもむずかしくて一番判別しやすいのは地面に降りた時の移動の仕方で、テクテク歩く子はハシボソでピョンピョンと飛び跳ねる子はハシブトなのですよ〜今度見てみてください。
この子はお庭の池のお水飲んだ後テクテク歩いてお散歩してたんですよねぇ...あ〜目がクリクリっとしていて可愛い〜!!
拝殿の扁額に隠れるカラス
お参りしていた時は、扁額を見ていたもののそのことには全く気づいていなかったのだけど、御朱印を頂いた時に貰ったリーフレットを境内の休憩所で自販機で買ったお茶飲みながら読んでいたら、扁額にカラスがいると書かれていて、えっ!!なんやて迂闊!!?気付いてなかったー!!!野の字かっこい〜!!くらいしか思っとらんかったわ〜って急いでまた拝殿の扁額を見上げてカラス探しをしました。
あっ...!!本当だ...カラスがいる!!
熊野牛王の
リーフレットには、3羽という人も20羽という人もいるとの事だったけど、ええっっ?20羽もいるのかしらとウロウロしながら探していた。
リーフレットより抜粋すると
額に表記された熊野代権現の字をよく見てください。
カラスは何羽いるでしょうか。「三羽」という人もあれば「二十羽」と言う人もいるでしょう。
すべてにおいていずれも正しく、物事を色々な視点から見なければならないという教えの一説が込められています。
私は、はっきり見えるのは1羽だったけど、烏点っぽく見えるのは10羽かなぁ...なんて。見る人によって全然違って見えるんだと思います。だって3羽っていう人も20羽っていう人もいるんだもの。
わたしは個人的に1人で旅をするのが好きな人間だけど、こういう時誰かと参拝してたら違う見え方も知れるのかもだな〜。次は誰かと一緒に行ってみたいな。
不思議な伝説のある蛭子像
鳥居を潜ってすぐににある末社の恵比須殿。
夷川社の御祭神で、応仁の乱の時に社が壊れてしまったが蛭子の神像は不思議と残って若王子神社に祀られた。と書かれていて、最初は、へぇ〜と思っていたのだけど、
参拝者がこの時わたししかいなかったっていうタイミングの良さもあってか色々お話ししてくれて、不思議な伝説があるんですよと教えてくれました。
元々は、京都御所の近くに祀られていたんだそうですが、案内板の通りで応仁の乱の時倒壊して川に流されて被災して蛭子像だけが難を逃れて若王子神社に祀られたそうなのだけど、京都御所からめちゃくちゃ遠くはないけどそこそこ離れている若王子神社に祀られたんだなぁと思っていたら最初は元の場所で再建しようとしていたみたいなんですが、その時この地に祀って欲しいとお告げがあったらしくこの若王子神社に祀られるようになったんですって。
写真は撮っていただいて構いませんよと首にぶら下げていたカメラを見てにこにこしながら神社の方が言ってくださったのでお言葉に甘えて撮らせていただきました。
扉が閉まっていたから上手いこと撮れなかったけれども これがそのえびすさんで、川に埋まっていたらしいけれど、損傷もさほど無い(当時修復なんかはされたのだろうけれど)ように見えました。
ちょっと暗がりで、黒い像だったから目が影で真っ黒くなっちゃって、お顔自体はニコニコと笑っているのだけどちょっと怖く写ってしまった〜。
こちらの狛犬さんは可愛らしいお顔してるなぁ...!!!
この子達は木造なので社殿内で蛭子さんを護っております。