最近、雨が降るとえげつない降り方をしますね。
比較的台風で被害に遭う事がありがたいことに少なかった静岡だけど近年そろそろお前達のエリアにも腰を落とそうと思うとでもいっているかのように目をつけられ始めた東海エリア。
先日線状降水帯にまんまとやられた私は、突然の突風によって自分の傘に頭突きをくらい(というかタコに顔を吸いつかれたみたいになってた)鼻血が出ました。
ギャグ漫画かなんかか?と思ったレベル。
まさかの血みどろ劇場勃発に今でこそこんなふざけた感じで言えるけど泣くかと思った。顔に青痣とか作ったのおてんば小学生だった時ぶりですよ。
ついでにブログも8ヶ月ぶりとか一体いつになったら平成の円環から抜け出せるのだろうか???
こんばんは!!あめんぼです。
色々絶不調だぜ!チクショーですわよ??
さて、前日の、後半戦が割としっちゃかめっちゃかだった二泊三日の夏の京都旅(しつこいが2017年)も、いよいよ3日目、最終日まで漕ぎ着けました。
夕飯を食いっぱぐれた恩恵か、朝食が豪華ラインナップでホロリと涙が出ちゃう。
お粥チョイスしました。
おかゆ朝食結構いいですよね〜一時期ハマった事あったんですが(コメじゃなくてオートミールでだけど)最近なかなか...
朝から鮭の切れ端とかじゃないこんなボリューミーな焼き魚食べれて幸せです。鮭ディスったわけじゃないです。前日に朝食と夕食とを食べ逃している者はね、面構えが違うんですよ。ひたすらもぐもぐと食べましたよ。あぁ、そりゃあもう、五臓六腑に染み渡るってもんです。タウリン200mg配合されちゃったくらい元気ハツラツですよ!!!
朝ご飯を食べてエネルギーチャージしたら、
ホテルで荷物を自宅へ宅配でささっと送ってしまってから、早々にチェックアウトして、今回のシリーズの①でアップした京都三熊野巡り最後の3社目、熊野若王子神社へお参りに行って来たわけで・・・
↑熊野若王子神社(他2社)での事はこちらをご覧ください。
早い時間に出発していたこともあって少し時間があったので近くをふらふら歩いていたらふと、永観堂という看板を見かけたので、あ、紅葉と見返り阿弥陀様のお寺さんか〜!!そういえば行ったことなかったかも...いい機会だしお参りしてみようか...と、思い立って永観堂に行ってみることにしたのです。
永観堂 (禅林寺)
2017.08.15参拝
いい感じに緑がどっちゃりあって清涼感
1〜2日目はお天気だったけれど、最終日は降ったり止んだりな生憎のお天気。でも雨のおかげで、"茹だるような暑さ"は回避できていたような気がする。雨が止むと、突然蝉が鳴き始めちゃったりするんだけどね 笑
おやっ・・・・?狛犬・・・否、獅子かな?
中国風の獅子ですね。石も日本の狛犬像とか獅子像と違う材質で次ものにある静岡県立美術館にある獅子みたいな感じ。
これこれ!!!お顔はだいぶ違うけど、独特の中国の石の質感似ている。これは浙江省から寄贈されたもので、漢白玉石で出来た獅子像。大理石とよく似た石ですね。
で、珍しいな〜中国っぽい獅子像か〜って調べてみたら、こちら中国っぽいんじゃなくて本当に中国の西安からやってきた大理石製の唐獅子だったというオチ。
永観堂、勝手なイメージで哲学の道ルートの観光客多そうとか修学旅行生でごった返してそうとか思って毎回あえて外していたものだから熊野若王子神社に参拝する事を計画しなかったら拝観する機会なかったかもしれないのだけど、最近よく言われているずらし旅をすれば、ストレスフリーで拝観できるんだなぁと思ったりしました。東福寺も青もみじの時に行けば牛歩とかないですしね!緑もめっちゃ綺麗なんだけどねぇ。
丁度9時頃...紅葉シーズンではなく青もみじシーズンでご覧の通り。
でも、お盆なのに上の方が色付いてきてる?
年々湿度や気温は上がってきているし台風発生もここ数年で異常なので、、もう"例年"なんて言葉言えなくなってきているけど、2017年は、それ以前までの平均で言うと、雨量は少なく気温は高いという年だったようで、影響があったのかもしれないね。水が少なかったり養分が行き届かなくなったりするとこうなることもあるみたいですね。
最近、冷え込むこともあるし、そろそろ赤く色づき始めているんじゃないかな?ライトアップもされるらしいですし、きっと綺麗だろうな〜人凄そうだけど!!!
紅葉の名所として知られている永観堂、正式名称は
貞観五年(863年)に創建され、第56代清和天皇から"禅林寺"の勅額を賜りました。
永観堂と通称されているのは、延久4年(1072年)に禅林寺第七世となった永観律師の名前にちなんでそう呼ばれるようになったので、創建当初からでは無く禅林寺が創建されて約200年後の事。
ちなみに、この永観堂 えいかんどうと読むかと思うのだけれど、永観律師は"ようかんりつし"というので本来はようかんどうと読むのが正解....らしいんだけど、今はえいかんどうと呼ぶのが一般的になっています。
方丈庭園/唐門前庭
天皇の使いである勅使が参詣する際、この門が使われていたそうで、今では禅林寺(永観堂)の住職が亡くなられた時にこの唐門を通るのだそう。
門前に、白砂利が俵形に盛り上がっている。
勅使は盛砂を踏んで身を清めてから寺内に入っていったんだって。
臥龍廊
おっ.....階段!!!
いい感じに畝っている...というか、これが臥龍廊じゃん!!!はわわわ〜っとなるわけで、そう、永観堂を拝観しにきたのは、見返り阿弥陀像と共にこの臥龍廊も見たかったからなのでした。
スタタタ....と、階段を上がってキョロキョロしながら人が全くいない....良い.....と、龍の腹の中を往復してしまった私がおります笑
高台寺は直線の臥龍廊で、永観堂のはググッと畝った感じで登り降りすることで、登り龍にも下り龍にもなれるね〜!!
ちなみに釘は使われておらず組み木だけで造られているんだよ〜これぞ匠の技ってやつですね。
どちらにしても私たちはお腹の中にいるわけですけども 、龍の腹の中を上り下りするなんてなんて贅沢なんだたとえ喰われたとしても我が人生悔いなしである。
否、欲深いからまだまだいろんな龍の腹ん中を歩き回りたいです。
かっこいい〜〜!!!背骨〜〜!!!この臥龍廊はもうご覧の通りで曲線美の美しさが本当に素晴らしいです。
実際に目で見て上り下りして美しさを堪能して欲しいですよ、ホンッットに!!!!くどいけどほんっとに美しい。
日本のお寺の廊下はなんでこんなに美しいかね・・・・人がいなかったからほんっっとこう雑音がない空間にいると美しさ反面稀に恐怖すらすることがあるけれど、所々は薄らぼんやりで忘れちゃったことも多いのだけど(流石に5年以上経っちゃったしね←)何故だか遠くで蝉が鳴いていて、この日は前日と違って少し蒸していてたまに背中にポトリと汗が流れる感触を感じつつたまに吹く生ぬるい風が生ぬるいんだけど妙にヒヤッとして廊下を歩きながら、ぼんやり緑浴していると、なにやらポクポクと木魚の音が聞こえてくる。
・・・・・あそこか。
そういえば今までいろんなお寺を参拝して来たけれど読経の時って無かったかもしれないな……お邪魔させていただこうか……。
読経と見返り阿弥陀と説法と終戦の日と
そんなわけで読経が聞こえるお堂へ向かうと、そこは阿弥陀堂でした。
極彩色で鮮やかな装飾で柱の彩色も美しかったんですけど後で撮ろうと思うとダメですね...撮るのすっかり忘れて帰りました。
そう、撮るのを忘れてしまうくらい読経と見返り阿弥陀立像の視覚と聴覚からくるそれが素晴らしすぎたからである。
この日はちょうど終戦の日だったこともあって読経の後、御住職(福住職かもしれない)の法話があった。
記事の更新を怠ってあれから5年半以上経ってしまっているので細かい話の内容は薄らぼんやりとしてしまっているのだけど、当時お話をしてくださった方は広島か長崎の方だったと記憶しています。
この日、たまたま永観堂にふらっと立ち寄って、たまたま読経の時に阿弥陀堂に行って、法話を聞いた。
この、たまたま行ったら後々まで脳裏に焼きつく印象的な光景というのが度々あるのですが、この阿弥陀堂での光景は、美しくもあり何故だか時々哀しくもなってしまうのである。
普段からろうそくが灯っているのかは定かではないですが、ゆらゆらと揺れるろうそくの炎の先にいるみかえり阿弥陀像は、あの時何を思っていたのだろうか…。
戦争というものは、どうしてこうもなくならないのだろうかと、よくよく、思うことがある。毎年…毎月、毎週、好んで見ているあの大河だって考えてみたら戦争の話なんだよなぁ……私はとても矛盾しているなどと、ふと考え込んでしまったりもする。
永観とみかえり阿弥陀様の逸話については永観堂のHPに詳しく掲載されていますのでご興味ある方は、ご覧になってみてください。
百日紅と睡蓮
そうそう!!大玄関前に、
雨が降った事もあって花びらや葉に付いた雨粒がキラキラと光っていてこれがまた綺麗で色々な条件が揃った頃に来れて良かったなぁなんて。
ちょうど夏〜残暑にかけての7〜10月の3ヶ月...約100日間紅色の花を咲かせるのが"百日紅"という名前の由来のひとつなんだって。
境内にある池に水蓮も咲いていました。
水蓮、清楚でわたし大好きなんですよね。
見かけるとついつい撮ってしまいます。
紅葉の永観堂……実際、赤く染まる永観堂は画像でしかみたことがない(東福寺同様ギッチギチの光景を見たことがあるからわざわざ紅葉シーズンに人ごみを観に行こうと思った事がなくて…笑)けれど、百日紅や水蓮が咲く時期に来るのも風情があって良いと思いますよ。
なにより、空いている。
最近は、人出が全く掴めないから断言は出来ないけれど………。
永観堂の境内を散策
予想以上に長居しすぎてしまって、次に行く先があったのでのんびりとまではいかなかったですが、境内も少しだけ散策。
放生池、あの鳥居の方まで行けば、弁天社の景色が素晴らしかったみたいだと言うことを後から知るという笑
こちらの方も若干、紅葉していますね。
青もみじと赤もみじ
真夏に見るとちょっと不思議な感覚に陥りますね。
でもなんだか白い斑点がある…うどんこ病とは違うように見えるけど…大丈夫かな…??薬剤の影響かな…
偶然は必然なのよと言わんばかりにお地蔵さんの前にひらりと落ちるもみじ。
くろ谷 金戒光明寺
2017.08.15参拝
続いて、くろ谷さんと地元の方には親しみを込めて呼ばれている
こちらのお寺、ずっと行ってみたいなと思っていたのだけど、この旅は今思い返しても、とにかく行きたいところを詰め込んだ旅だったなぁと写真を見返しながら苦笑してしまうわけですけど、見てこれ立派な山門です。まぁもうそれはそれはでっかい!!!!
特別公開の時に拝観できたら、この山門の内部公開などもあるそうで、楼上にあるチーム文殊菩薩や天井画を拝観したくて仕方がないのだけどいつか京都の天井画だけを観て回る旅をしてみたいなぁ。
蹴上の南禅寺も山門が見応えありますけど、巨大な建造物は見上げた時、本当にワクワクしてしまう。
山門は、柱と柱の間から見える風景が額縁に飾られた絵画のようにも見えてきっと四季折々違った印象を持つんだろうなぁ…美しいですね。
現在の山門は1860年に32年かけて再建が完成したもので、それ以前にあった山門は応仁の乱で焼失しています…というかだいたい応仁の乱でそこいらじゅうどうにかなってるけども。
新撰組発祥の地
幕末の京都は、町奉行で取り締まれないほどの
会津藩主の松平
この、会津藩主である松平容保の京都守護職就任に関しては会津藩内で大揉めしたのですが容保さんの板挟みっぷりは気の毒になるほどですが今回はサクッと割愛します。
家茂が攘夷について
詳細は、 金戒光明寺HPを参照ください。
※ 芹沢鴨,近藤勇,新見錦,粕谷新五郎,平山五郎,山南敬助,沖田総司,野口健司,土方歳三.原田左之助,平間重助,藤堂平助,井上源三郎,永倉新八,斎藤一,佐伯又三郎,阿比留鋭三郎…計17名 ※但し斎藤一は浪士組ではない
大方丈に近藤勇達が松平容保に謁見した『謁見の間』が再現されているそうなんですが、特別公開の時に拝観出来るそうなんですがこの時は残念ながら拝観は出来ずでした…。
阿弥陀堂
このお堂は、黒谷さんの諸堂の中では一番古いお堂。
慶長十年に豊臣秀頼が再建されたもので、本尊の阿弥陀如来像は、
こう、これで最後の仕事として自分の長年使っていた相棒をすっと作品の中にある意味封印する行為、わたくし創作再開するする詐欺ばかりしているちゃらんぽらんな人間にとっては、頭が下がる思いである……なんかほんと最近煩悩しかないので除夜の鐘打ちに行った方がいいかもしれないわね……。
永観堂の阿弥陀如来は少しほっそりしているのですが、こちらの阿弥陀如来はふっくらした印象。あと、龍の天井画もあって、お!!おおっっ??と、覗き込んでしまったりして。
境内の売店でかき氷
お参りを一通り済ませたら、
境内にあった売店でかき氷いただきました!!
見た目シンプルで子供の時おばあちゃんとお団子屋さんと違って頭にキィィーンとくるかき氷じゃなくて氷屋さんの氷を使ったかき氷。
写真だと硬そうに見えるけれど、ふわふわの口に入れたらすーっと溶けていって美味しかったです。最近のかき氷はそういう頭が痛くならない天然氷を使ったかき氷がスタンダードになってきたので、逆に人工氷の口の中で氷のダマになっちゃって頭にキーンとくるかき氷に当たると懐かしくなっちゃうくらいだよね 笑
このブログは未だ平成の世界から抜け出せていないが、もう一つの時間軸にいる私は昨年ねんどろ長義ちゃんと毎週毎週かき氷を食べ歩いていた程、ここのところかき氷にどちゃハマりしている。
今年もそろそろアップを始めているところだし、平成の世界にいたわたしも実はアホみたいにかき氷食べていたので今後もちらほらかき氷ネタは出てくるはずである。
おっと、無駄話をしてしまった。私の悪い癖……!!
時を戻そう。
極楽橋の蓮池と 江の供養塔
京都守護職が会津藩主松平容保だったこともあり、その関係で会津墓地があります。
平成23年の大河ドラマ『 江〜姫たちの戦国〜』のお江さんの供養塔があるとのこと!!
お江さんか…懐かしい……!!
会津墓地に向かうには蓮池に架かる橋を渡っていくのですが、橋の名前が極楽橋っていうのも素敵ですね。
この橋、京都の社寺では最も古い石橋だったとされるんだとか。この蓮池も
平家物語、敦盛最期の段で敦盛との一騎打ちで有名な熊谷直実…って、あ、大河といえば……鎌倉殿の13人でこの直実と敦盛のこの一騎打ち取り上げられなかったですよね。あれか?北条メインだしインパクト強すぎて出せなかったのかな???
熊谷直実と平敦盛の供養塔もあったようですが、なんということか全く気付かず(目的が違ったものだから前調べが全く足りていなかったという。後でめちゃくちゃ後悔した)なんてこったい。
蓮の花はもう見頃は過ぎてしまっていたのがちょっと残念…。もう蓮の実になっちゃってるものが沢山でお花はちらほら…もうお盆だもんね
7月中旬〜8月上旬あたりがたくさん咲いているのかも?近頃の例年より〇〇早いの傾向があるから早まるかも…か、読めない!!!!
白い子咲いてました。
さて、看板が所々置いてくださっているのでその案内通りに進んでいくと…
奥の方に一際大きな石塔があります。
こちらが
春日局との対立が良く取り上げられますが、供養塔の前にあった実はこの供養塔を建立したのは他でもない春日局だったそうです。
で、ここでもうっかりしすぎなんですけども左右に春日局と徳川忠長の供養塔あったんだってあとで知って、どこに目をつけていた……わたしよ……と、ガクッと膝をついたのは言うまでもない……。
注意力が散漫すぎて仕方がないよ……
実は、旅の計画をしていた頃、京都三熊野詣りで若王子神社を調べていた時、地図を見ていたら近隣に金戒光明寺を見つけて彼に会う絶好のチャンスではないかぁ!!!と、最終日にくろ谷さんのお参りをぶちこんだのですが、いよいよその時がやってきた。
念願のアフロ仏さんに会う
い、いたーっっ!!!!!!!
会いたかったーーっっ!!!!
ここ最近よくテレビや雑誌でも取り上げられるようになったけど、巷でアフロが可愛い♡とか言われてなぜかアフロ大仏(デカくない)と言われて紹介され…、
ごく稀に奈良には大仏がいるけど京都にはいないのは何故かという話題になると、京都には昔、京都大仏という奈良の大仏より巨大な太閤殿下が建立した大仏がいたのだが、長年に渡る不運続きでついには昭和48年……突然の出火で幻の大仏になってしまった。今は、アフロ大仏というロックでファンキーな大仏(ではない)しかおりません とかネタとして言われてしまうちょっと気の毒なところもあったりするんですけど、文化財指定は無いものの、石仏像はかなり珍しく更に黒谷さんに行けばいつでも会えるというこの気軽さ…好き。
ちなみにですが、さも崇源院の供養塔をお参りした後、やっと見つけたーっっな胡散臭さで進めていますが、実は供養塔を探している間に既に見つけている。
ちょうど階段があってお江さんの供養塔の案内看板を見てすっと目線を上げたら、あっ…いた……!!! って、ちっちゃい声でつぶやいちゃったりしていたのだ 笑
あんなところに笑
おわかり…いただけただろうか………。
さて、この仏さまどうしてこんなパンチパーマ最終形態みたいなヘアスタイルをしていらっしゃるのか………見るからに重量感のあるそのボリューム…だからこんなにも首ががっしりしているのか。
細身の首では絶対に支えきれないし頸椎に何らかの異常が生じるに違いない。
このアフロとか言われちゃうくるくると丸まった…というか既に玉状になったこの毛髪は、
ちなみに、大日如来だけは螺髪ではなく髪を結い上げ豪華な装飾品を身につけていて、それは大日如来が仏の中のトップ……王様のような存在だからなんだって。
上から見た螺髪
この大きな螺髪が覆い被さったような大きな髪型は、阿弥陀仏が法蔵菩薩だった頃、悩み苦しみむ民衆や罪悪をして輪廻を繰り返す民衆をも救う(但し、五逆の罪を犯したり仏の教えを謗るものは除く)為にはどうしたら良いか?法蔵菩薩のお師匠である
熱心だなぁ…と世自在王仏は思ったわけで、ならばと
二百十億という、ありとあらゆる仏の浄土の成り立ちと、それらの浄土にいる人びと有り様を見せたとか。
法蔵菩薩は、浄土の有り様を見て
五劫という途方もなく永い永い時間をかけて思惟を重ねて仏になって理想の浄土を実現するぞと48の願いを立てたそうだ。
これが、阿弥陀如来の四十八願ってもので時々お寺巡りしているとお堂なんかに説明パネルがあったり、たまーにフリーペーパーみたいなものを作られているお寺さんだと四十八願についての紹介があったりしますよね。
神社仏閣巡りするとはいえ、宗教に強いわけでもないし文化財巡りや史跡巡りの観点で巡っているのことが多いので、ここら辺に関しては疎いですけども、たまに、それはなんぞや?と思って調べたりすると奥が深かったりして、知ってると知らないとではたまに見え方が違うこともあったりするので、雑学的に知っておくのも良いかもですよね。
で、その五劫の時間ってどれくらい途方もない時間なんだろうか?ってなる。
100年に一度(千年とも言われている※諸説あり)天女が舞い降りた際、四十里立方(約160km))の大岩の横を通った時に羽衣がスッと岩に触れる。そして、その160kmの大岩……ってかデカいな???世界一巨大な岩8kmやで?(西オーストラリアのマウントオーガスタス)ってビビってしまうような大岩に羽衣の裾が岩に触れた程度でそのバカでかい大岩が削れて無くなるまでの(途方もなく)永い時間……の事を一劫というので、五劫はその5倍の時間ってとんでもない時間だな。
お顔だけ見るとこんなに、あどけない子供のような姿をしているのになんて気が狂いそうな時間そんな…民のために考えられるんだ…
諸説ありますが、宇宙的年月規模で言うと一劫が約4億3200万年…五劫は、21億6000万年一劫ですら………ふぁぁーっっっ??規模がダイナミック過ぎて追いつけないだろうが……って話だよわけがわからん大パニックなんだが!!!!
という、人間のちっぽけさは置いといて、そんな壮大なレベルで、生きとし生けるものが幸せであれ、救ってあげたいと願い考え………なんかもう頭が下がる思い(2回目)である。
その永い永い気が遠くなる時間修行し、髪が伸びに伸び、螺髪を積み重ねてあのような頭になった様子を現したのが五劫思惟阿弥陀仏なんですって。
そう、アフロ仏とかアフロ大仏(大仏じゃないけん)言われちゃってるけど、
正式名称は
寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ
海砂利水魚の水行末
雲来末 風来末…以下略
の、落語がありますけど、あの五劫の擦り切れの五劫はこの五劫思惟からきてるんですって。
いろんな五劫思惟阿弥陀仏像いらっしゃいますけど、わたしも国宝その他色々拝観させていただいたことありますけど、こちらの石仏の五劫思惟阿弥陀仏、異名アフロ仏さんのお顔が一番柔らかい顔しているかなと思っています。
五劫思惟阿弥陀仏こんぺいとう
御影堂で売っていた五劫思惟阿弥陀仏こんぺいとうがはちゃめちゃにかわいくて思わず買ってしまいました笑。
三個セットを購入。
5種類くらいあったかも?ピンク色のとかも可愛かった☺️
これ、ほんと考えた人天才か!!!とか思っちゃったよ、螺髪部分金平糖にしようとかよく考えましたよね。この五劫思惟阿弥陀仏…夜な夜なGOKOUSIYU NIGHTとか絶対やるぞ。DJとかやってそうなんだが…DJ GOKOU………笑
これ、後からあー!!失敗した〜とか思っちゃったけど食べた後袋取っといて可愛い紙とか厚紙にマステとか貼って旅ノートに貼ったりしたら可愛かったかもしれないなぁとか
また、拝観した時に売ってたら次は、それやってみようと思います。
黒谷金戒光明寺御朱印
御朱印もいただきました。
五劫思惟阿弥陀仏御朱印と代表の御朱印
ちなみに、五劫思惟阿弥陀仏ステッカーいただけるんですけど、このQRコードなんだ??って読み込んでみたら黒谷さんのHPに飛びました笑
黒谷金戒光明寺 詳細 &Map
〠606-8331
京都府京都市左京区黒谷町121
☎︎075-771-2204
拝観受付9:00-16:00
※HPには時間記載が無いので一般的な時間記載をしています。法事等で拝観中止されることもあるかと思いますのでSNS等でご確認ください。
アクセス
⚫︎市バス岡崎道下車(32・203・204系統)徒歩10分
⚫︎市バス東天王町下車(5系統)徒歩15分
くろ谷 金戒光明寺 | Twitter, Instagram, Facebook | Linktree
さて、京都三熊野巡りも終えたし、見返り阿弥陀もアフロ阿弥陀の阿弥陀仏巡りも終えたし……
とりあえず、何か食べますかね………
私の腹の虫が、活動を始めたのであった。
続く!
◉追記…永観堂の部分で紅葉について若干時差がある発言(そろそろ色づいているんじゃないかな?という箇所)がありますが、何を隠そう昨年の10月から書いていて途中で止まっていた記事だというのが見え隠れしています。修正を忘れていた事に気づきました笑