とある審神者の本丸

薩摩國所属の審神者による遠征記録報告書

【 #真夏の京都二泊三日の旅 ⑦】幽霊と海月ゆらゆらと【圓徳院&京都水族館+cafe】


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どうする家康が来週終わってしまう……
悲しみに打ちひしがれているのだけれど
私もいい加減、平成を彷徨うのを終わりにしたい……まずは、この6年前の夏の旅を終わらせようと思う。

こんばんは! あめんぼです。
恒例の半年ぶりの更新です




✄- – – – – – – – – – – キ リ ト リ – – – – – – – – – – ✄



2017年8月

6年前の京都の夏は、不思議なほど涼しかった。
当時の私は、お盆休みの3日間といえば京都で過ごす事が多く茹だる暑さでいつもポタポタと汗を滴らせていたものだから、狐につままれたような気分になりつつも今は夏、そう、夏なのだ。


蝉の鳴き声もすれば、紫外線も強い。気分的には暑いのだからと私は涼を求めに行こう…しばらくはまた日帰り旅になってしまうだろうし、何より今日は気ままな一人旅の最終日だ。


欲求の赴くままの行きたいところ逢ってみたかったモノそれをただひたすらに消化するこの旅は、なかなか楽しいものがあった。最後まで自分の煩悩に突き進んでみるのも良いものだろう。



目線の先に、1匹のプードルがキョトンとわたしを見上げていた。

ふふふ……と、突然含み笑いをしたわたしをしばらく眺めていたがスンスンと鼻を引くつかせると大きな欠伸をして体を丸めてしまった。この店の看板犬らしい。


「お待たせしました。まるごとオレンジジュースです」

「ありがとうございま………っっふふ、ふ、知ってはいましたけど実物かわいいですね」


カウンター越しからオーダーしていた"まるごとオレンジジュース"を見るなり私は思わず笑ってしまう。



まるごとオレンジジュースという名前だけでは到底想像がつかないカタチでそれはやってきた。


つぶらな瞳と大層立派な髭のまるごとオレンジ…それが、このカフェがいう、"まるごとオレンジジュース"である。


小さな店内、すでに満席だがお髭のオレンジ達がお嬢さん方のテーブルでご自慢の髭を披露しており店内では楽しそうな話し声が聞こえてくる。


少しだけ生ぬるいオレンジ男爵からすすりながらそんな彼女たちの楽しげな笑い声を聞きながらカウンターで店員さんと談笑していると、注文していたフレンチトーストが出来上って目の前に置かれた。



夏の時期は、桃がこれまたまるごと乗った"桃のタルト"が人気のカフェで本当は夏の看板メニューでもあるそれを食べるつもりでいたのだが、この日のわたしはどうにもお腹が空いてしまってフレンチトーストを頼んでしまったのだ。


すでにおやつの時間でもあったが、わたしにとっては遅い昼ごはんである。

もう少しのんびりしていたい気もするが、食べるスピードを早めるとわたしは先を急ぐことにした。


立ち上がったわたしに再び目を向けた看板犬に、じゃあまたね、と、別れを告げ店から出ると、むわりとした空気が立ち込めた。

涼しいとはいえ、夏だな…冷房の効いた場所から出ると夏を感じる。


さて、涼を求めに行くとしようか。




圓徳院へ涼を求めに行く


2017.08.15

前日は閉門してしまっていた圓徳院、ねねの道は観光客で溢れかえっているけれど、門を潜れば途端に空気感が変わるのが不思議なこと。

ここ、圓徳院は京都の中で何度も足を運んでいる寺院の一つで、すぐ迎え側にある高台寺塔頭だ。

豊臣秀吉正室高台院(北政所ねね)が高台寺を建立し、伏見城の化粧御殿と前庭をこちらに移築して移り住んでからというもの、高台院を慕って大名を始め禅僧や茶人に歌人…と多種多様な文化人達が訪れたと伝わっていて、それが圓徳院の起こりとされている。

そういえば、圓徳院の名前はどこからきているのだろう。

聞くと、高台院の甥が圓徳院という法号だったらしく高台院が亡くなられた後、そのまま木下家の菩提寺としてここをお寺に改めてその際、法号の"圓徳院"が寺の名前になったんだそうだ。


南庭の、白砂利がだんだんと目に眩しくはなくなってきた頃合いの16時過ぎ。


さて、と庭に背を向けると彼女達が、いる。

圓徳院の幽霊

方丈にひっそりと佇んでいる。
痩せ細って骨と皮だけになった女性がこちらを見ていた。

その風貌から老婆のように見えるが、髪は黒い。
若くして亡くなったのかもしれない掛け軸の中の彼女のことを知る術は無く想像をすることしかできない。

これは、円山応挙が描いたとされる掛け軸の複製画である。

大変よく出来た複製画で風でゆらりとゆれるとあたかも幽霊がゆらゆらとゆらめいているように見える。


円山応挙は可愛らしい犬の絵が有名でそのほかにも沢山の動植物達を描いているが、実は幽霊画も数多く描いており、足のない幽霊を描いた元祖が円山応挙であるという。(諸説あり)

なんでも、夢の中に亡くなった妻が現れた。
彼女には足がなくゆらゆらと宙に浮かんでいたのだとか。

応挙は何をしたのかというとその妻を忠実に描きとめた…写生といえば応挙と言われるほどずば抜けた観察眼と再現力を持っていた…ので夢であれなんであれ応挙が足のない幽霊を描いたという事は、幽霊には足がなかったのだろう。


時代は移り変わり、平成や令和では幽霊は足を得てすばしこく走るようになったが、相変わらず髪は長く黒髪で白い服を着て人々に恐怖を与えている。応挙だったらどう描いたか…否、それは、不粋かな。


それにしても、幽霊をも写生するのか…北斎もなかなか狂っていたけれど応挙も随分と写生狂いである。

掛け軸の中にいる彼女は何を思ってこちらを見てニタリと笑っているのだろうか。

円山応挙の、幽霊画は比較的線が細く美しい幽霊画を描くことも多いが、彼女のようにおどろおどろしさのあるものも多く伝わっている。背が折れ曲がるような…ろくろ首が今にも首を伸ばす瞬間ではないか?のような体制の…顔が異常に大きい不気味な幽霊もいる。


応挙は、数多くの幽霊画を描いたが、応挙真筆と日本国内で認定されたものはわずか1点の掛け軸で青森県弘前市の久渡寺所蔵の「返魂香之図」だけである。(国内初の事であり、これまでは米国にある一点の幽霊画が唯一の応挙真筆認定されていた)

見れるのは年に一度、わずか1時間のみというとてもレア※展覧会等の出張は除く な幽霊画でこれがまた…美人幽霊で……生きているうちに供養として会っておきたい。死んでしまったらお前も供養されろよってなってしまうからね、生きているうちに。


と、まぁ応挙と反魂香之図の話ばっかりしてしまったけれど、これは私の昔話…この6年間の間に、反魂香之図が真筆認定されたのだからやはり話さずにはいられないのだ。2021年5月20日の事なのでついつい語ってしまった。

「氷がある……昨年(2016年)あれ……ありましたっけ?」

幽霊画の足元には、四角い氷の塊が……。

『今年から、氷も置くようにしております。冷たく感じますやろ?触っていただいても構いませんよ』


「そうなんですね。では、お言葉に甘えて………」


しゃがみ込んで氷をなぞると、ヒャッとしてしばらく手を当ててくるとピリリとしてドクドクと血液が波打つ感覚がしてくるのを感じる。


幽霊と冷たい氷の塊。 

ただ冷房で暑さを凌ぐそれとは違い、感性で感じ取る凉というものは日本人独特の凉の楽しみ方ではないだろうか。

海外でも恐怖や体感で涼を…というものはあるにはあるが、恐怖意外でもバリエーションにかけては日本は引けを取らないと思う。

金魚に風鈴、柳の木下の幽霊、川床や
湧水で冷やすスイカや夏野菜に夏の夜店、おそうめんの喉越し、お線香の香り。

夏に怪談話が始まったのは江戸時代に怪談や殺し場等、ゾッと背筋の凍る演出を取り入れられた"涼み芝居"を歌舞伎で上演し夏の風物詩となったのだそうだ。

わたし実は朧げながらに覚えている幼少期の記憶で、母方の祖母と四谷怪談を観に行ったことがある。役者がだれでとかそんなことすらわからないくらい……小学校に上がってそうたっていない頃のこと。当時は本当に怖がりで、ディズニーランドのカリブの海賊ですらパニックになるくらいの怖がりだったわたしを連れていくのだから、母方の祖母はなかなかの鬼ババァだった。

そして、その鬼ババァに小学生までの間(両親共働きだったので)育てられていたのがわたしだ。

怖がるどころか今は好き好んで観る大人になってしまった。

さて、怪談と言えば百物語もある。
こちらも始まりは江戸時代だったりする。

もっと昔からの起源のものもあるけれど、いわゆる貴族達だけの楽しみではなく、庶民達も季節を感じる(または、季節独特の体感温度をどう乗り切るか)事の楽しみ方で、今現在も続いているものって始まりは江戸時代なんて事が実は結構多い。

江戸っ子は実に粋でいなせである。


もう1人の幽霊は、『青波幽霊図』
落款と筆名があるように見えるけれど筆者は不詳なんだとか。

月明かり海の水面を背にぼうっと浮かび上がりこちらをまた意味深かげにうっすらと笑っている女幽霊。

香炉の煙から出現しているのだけれど、海にお線香って想像あまりつかないので海の水面も一緒にイメージとして出現しているのだろうか…

煙に沿うように文字が書かれていた。

なんて書いてあるんだろ…幽、界、尚…迷?
後から拝観しに来た人とお話ししていたので聞きそびれてしまったからあっているのかわからないけれど、あの世でも、尚彷徨うって書かれているのかな…?

昔も今も芸術作品には様々な部類があって、楽しげなものもあれば時に残酷なものもありそうやってこうならないように…とかそういう思想や道徳とかも当時はあったのかもしれないけれど(地獄絵図とか特に)あの世でも尚彷徨うなんて救いがないなと思ってしまう。

この高台寺塔頭である圓徳院にあるのだから(複製画ではあるけど)彼女は救われているという事を願いたい。

と、いうのも…

百鬼夜行の時期で、高台寺周辺にはあちらこちらに妖怪がいる。中には数々の創作物語で悪者として登場する妖怪もいたりするのだが、高台寺の良いところは退治したり祓ったりするのではなく、妖怪も救うというのだから仏は慈悲深いものだ。

そういえば午前中にお参りした黒谷さんの五劫思惟菩薩さんも全てのものを救うにはどうしたら……と考えに考え髪の毛がアフロ(違う)になるまで思惟したりしていたな…ふと、午前中にお会いした五劫思惟菩薩を思い出す。

ぶんぶく茶釜

幽霊達に別れを告げて院内を散策していると可愛いたぬきと出会った。

たぬきが茶釜に化けた昔話のぶんぶく茶釜の蚊遣り。圓徳院は蚊遣りのバリエーションが何個かあるのか毎回違う蚊遣りと出逢うので夏の時期はこの蚊遣り探しも楽しい。

京都に通い始めて数年経ってから気がついたものだから新しいところに行くのも楽しいけれど通い詰めるのも新しい気付きが出来る楽しみがある。

ちなみに、分福(文福)の掛け軸もこの時期に展示されていることが多くてまた会えたねぇとニコニコしてしまう。

分福(文福)茶釜自体は悲しいお話ではあるけれど、ぶんぶくの愛くるしさは和んでしまう。

お抹茶一服

圓徳院に来ると接待受付時間が間に合うと嬉々としてお抹茶をいただくのが習慣化している。

お抹茶に付くお茶菓子は、秀吉の馬印の千成瓢箪(せんなりびょうたん)をイメージしたきんつば

金箔が添えられているところに密かに秀吉みを感じるしきんつばなのもまた何だか良いなと思っている。

きんつばは漢字で書くと「金鍔」とかくのだけど、元々は" ぎんつば " と名付けられていて、作られた当初は丸型の刀の鍔に似ていてそう名付けられたんだとか。

その後、銀より金の方が上等品であるということで名前が"金鍔"に変えられたのだそうだ。

これもまた、刀好きの秀吉らしいではないか。


茶碗にも千成瓢箪がある……。

「これは、住職達が作ったお茶碗なんですよ」

茶碗を眺めていると、圓徳院の方に声をかけられた。

「へぇぇ…だから、瓢箪が……色味も何だかオシャレですね。市販品みたいな無機質感ないのが良いですね、温かみがあって」

「これ、手とへらだけで作るんです。」

焼き物の技法に関してはそんなに詳しくなくててっきりろくろを回して作っているものだとばかり思っていた。

知らない事をぽんと与えられる楽しさもまた、ひとり旅の良いところだなとしばしば思う。


お抹茶は、先ほどの方丈前の庭園ではなく、北側の庭園を眺めながらいただくことができる。

圓徳院に限ったことではないが、訪れた時間や季節、その時の体調などさまざまな状況で全く景色が変わって見えるから何度でも足を運びたいし、意外とその時々のことが記憶に残っている。

2017年8月15日の事は、なんだかんだで3記事になるから(1件は3日間まとめての更新ではあるけれど)、しばしば書いているがこの日雨が降ったり止んだりを繰り返していたので、時折風が吹くと夏独特の雨の香りが乗ってきて、記憶に深く残っている。

五感は、記憶を留めておくためにも大事な感覚なんだなと最近特に実感している。


それじゃあ、また来年あたりに逢いましょうねと幽霊達と別れを告げて圓徳院を後にしようと……



「………………雨だ。」



ポタッと顔に雨粒が落ちてきた。



そして、はっとした。







傘が……ない




黒谷さんかカフェに傘を忘れてきた……否、そもそも初っ端の若王子神社御朱印いただく時にペラペラと神主さんと話し込んでいた時にすでに起き忘れていた可能性だってある…何故なら雨が降っていたのはタイミングよく全て屋根がある場所にいる時だったからだ。

記憶力はいい方だ…6年前のブログをいまだに書いているくらいなのだから。

ただ、傘に関しては、雨が止むと傘の存在が記憶から抹消される厄介な性質がある。


一体何本の傘を各地に起き忘れたのであろうか………傍迷惑この上無く思う自分で自分の頬をばちんと平手打ちにしてやったから許してほしい、あぁ…なんということか。

高台寺 利生堂

圓徳院を後にしてそのままさて、どうしたものかとなぜか高台寺に向かうねねの道へ無意識に足を運日、登り切ったところでなぜ登ったよ………とポタポタ落ちてくる雨に途方に暮れていると何やら見覚えのない建物を目にする。



「何だあれ………昨日あったか?」(あった)


前日、私は真っ直ぐ高台寺に向かっていったので全く気づいていなかったがやけに真新しく"利生堂"と掲げられている。

りしょうどうと読むらしい。

扉はしまっているけど入っていいのか悪いのか…とうろうろしていたらさらに奥に入り口があった。(はず…ここはうろ覚え)

雨も降ってることだし、まだ少し拝観可能時間まであるな…と少し覗いてみることにした。

八相涅槃

閉館間近だったこともあってさらっとしか見れていないが、八角形のお堂の中一面に涅槃図がえがかれており入った時、わ、凄い…となる空間になっている。

この画像は一枚板だったかはめ込み式だったかの記憶は曖昧だが涅槃図…お釈迦さまが入滅された時の状況が細かく彫刻で表現されていた。それぞれが長方形のコマとなっていて数十枚(コマ?)の彫刻が展示されていたもの。

高台寺は撮影禁止エリア(堂内等)がありますが、ここは撮影OKで涅槃図の撮影も(複製画なので)可。

建物の壁全体にその涅槃図が描かれたおり、中は礼拝堂のような作りになっていて椅子や木魚その他仏具一式が配置されている。

肝心のお釈迦さまの写真は(巨大すぎて)撮影していないけれどお釈迦さまを取り囲むようにさまざまな如来や菩薩に弟子達や生き物達が嘆き悲しみ、お釈迦さまに寄り添う様子がぐるりと360℃体感でき、自分もまたお釈迦さまが入滅された時その場に居合わせたかのような感覚になる作りだ。


これは、高台寺所蔵の八相涅槃図のデジタル複製画なのだとか。

HPを確認したところ正確には礼拝聴聞とされているようでここで法事や葬儀も行えるらしい。

涅槃図か……沙羅双樹の木の下で最期を迎えたお釈迦様を信者や動物達が入滅を悲しんでいる様子が描かれたものって事しか知らんな……ところでこの生物は……一体…

蛇にツノが生えている…しかも足は無くてちゃんと蛇だ…地味にこれは耳だ耳も生えてる!!!

あなたは何者なのだ…。
涅槃図には架空の生物も多数描かれているってなにかで読んだことがあるけれど、その架空の生物なのだろうか(知っている方がいたら教えて欲しいです。)


狐と……お前も何者だ…
イタチか?イタチなのか??というかネズミもめちゃデカいな原種か???


なんて、


こういうの見つけるとなんだか楽しくなってしまって、浮世絵なんかでもたまにモブに着目してたのしく鑑賞してしまったりする時があるのだけど、こういう妄想してあれこれ思いを巡らせるのも楽しいものである。


自分に余裕がある時に、涅槃図のあれこれを一度調べてみたいとこの6年前の旅を振り返って思ったりした。

この6年余裕がなかったんだなという反省点も踏まえて。

利生堂御朱印

利生堂でも御朱印がいただける。
"安心"と書かれている。

これで、ひと安心だね!!なんて普段言ったりして馴染みのある言葉で、常日頃"あんしん"っていっているけれど、仏教だと「あんじん」って読むんだそうだ。

安心も仏教用語の一つなんだなぁと知る。


仏法によって得た心の安らぎ、そこから発する動ずることのない境地のこと


なのだとか。

お寺や神社巡りはするけれど、あまり深いところまで追求してしまうと宗教宗教しちゃうのでそのお寺の歴史だったり御本尊については調べることはあっても用語を多く知っているわけではないから、へぇぇ…!!!と思うことしばしば。

これから先何十年かすると忘れていくことの方が多くなる時がいつか来るのだろうけど後どれくらいのことを知ることができてどれくらいのことを記憶に留めていることができるのだろう。


忘れることの怖さもあり、また、知らない何かをどれだけ知れるかの楽しみもある。


そんなことを思っているのも束の間、私はものの数秒で頭を抱えることとなる。















土砂降りじゃねえかよ
どうすんだよこれは……



途方に暮れた。




わたしは、旅は年密に計画を立てて行く方で、最終日は比較的ゆとりを持たせた組み込み方をすることが多い。

というのも、予定していたけど行けなかったりしたところにあてたりはたまた寄り道が出来たり、疲れてしまった時に後から後悔しないためにという理由があるのだけど、この日の予定が若王子神社黒谷さんにcocochi cafeしか組んでいなかった

にも関わらず、わたしはかなり遅い時間の新幹線の指定席を取っていたわけで、さぁてどうしたものかと思っていると、あたかもわたしが手を挙げたとでもいわんばかりにすーっと目の前に三葉マークのヤサカタクシーが停まって、なんという絶妙なタイミングなんだと、そのままわたしはコンコンと窓を叩いてタクシーに乗り込んで、数秒考える一番最初に思いついた場所を運転手に告げた。


京都水族館までお願いします」




10分と少しの間、
それはもうわたしは饒舌になった。

京都水族館

タクシーの運転手さんが、降車際に

「お客さん、風邪ひかんといてね。帰り駅まで行くならまた電話してね」


前髪が雨に濡れてピタッと額にくっついているわたしに、レシートを渡す時電話番号がかかれている箇所を指差しながらここね、と言った。

タイミング上等、気遣い上手、営業上手さらには聞き上手この人はかなり上物のタクシー運転手だったな。

わたしは礼をいうと足早に京都水族館へと入っていった。

オオサンショウウオ

京都といえば…な、オオサンショウウオさん、入って早々お出迎えをしてくれる。

のだが、実は外から水族館の館内に入ってまだ目が慣れていない状況の時にみるので初っ端に難易度S級なのがこのオオサンショウウオさんだ。

事実、わたしは前年にも京都水族館に行っているものの写真は撮っているものの他の生き物たちのことや空間に関しては覚えているのにオオサンショウウオの記憶が全く残っていなくて驚いている。

擬態がとても上手くて見つけるのに時間がかかってしまうところもあるのかもしれないと思ったのだった。

それにしても何ともいえない風貌である。
とても平べったい。

大雨の後によく鴨川の川辺にオオサンショウウオがひょっこり現れるって聞いたことあるけれど、実際京都の方で出会ったことあるよって人どのくらいいるんだろう?と、ふと思った。

見かけても天然記念物だから触ったりしたら罰せられるので知らなかったでは済まされないので肝に銘じておかなくてはならない。特に観光客である私たちはそういった知識に浅いところがある。郷には郷に従えという言葉があるが、ただ遊びに行くという考えだけでは時に自分が加害者になることがある。

警察か役所に通報すると保護されて遺伝子解析されたのち在来種であることが確認されたら暫く京都水族館で保護されるそうだ。外来種が入ってきているので雑種が増え在来種の数が減ってきていることが問題視されているそうである。

夏のくらげはあの世から来た誰かだってばあちゃんが言ってた。

アカクラゲ

さて、旅の最後に京都水族館を選んだのは雨宿りも兼ねていたものの久しぶりにクラゲを見たかったこともある。

くらげって癒しの代名詞みたいなところありますけど、本当に見ていて飽きないし不思議な生き物だなと思ってしまう。ある時クラゲの睡眠についての実験論文を読んだことがあるんだけれどくらげって脳がないのに睡眠するんだそうだ。

基本的に脳を持つ生物が睡眠するものだとばかり思っていたのだけれど、寝たらそれなりに運動能力にも差が出るとか……。

くらげも種類豊富だが、有名どころではあるけれどアカクラゲミズクラゲが好きだ。

水の流れにゆらゆら揺れる触手が綺麗だし傘を開いたり閉じたりするときのゆったりとした動きも見ていて飽きない。癒し、ストレスが減る、時間を忘れる………わかる気がする、ついぼんやりと眺めてしまう。

水族館にたくさん通っているわけでは無いけれど色々な水族館のサイトやYouTubeなど拝見しているとくらげの展示エリアは他の生物達よりも光の演出に力を入れていることが伺えて京都水族館もまたクラゲエリアの演出は幻想的だ。

光量がゆるやかに増減するので光がふっと消えたときや光が当たりふわっと浮き上がるアカクラゲの紅色がキラキラと光っていつのまにやら口をポカンと開けて魅入ってしまうのだ。

時間泥棒である。

ミズクラゲ

アカクラゲと同じ位好きなミズクラゲ
アカクラゲは長い触手に毒があり触れるとビリッと電撃があじるほど痛いがミズクラゲは毒は持っているもののさほど痛くはないと、学生時代に講義で聞いた事がある。

中央の花のような赤い部分は" 胃 " である。
これを学んだ時は、へぇぇとなったものだ。
胃なんだ、と。

光に反応して傘の周りでひらひらと動く縁触手が仄暗い光にふわっと浮かび上がる。

なんで綺麗なんだろう。


また、祖母の話になるが、
昔、夏に押し寄せるようにやってくるくらげはあの世から帰ってきた亡霊だ。お盆に海に行くとあの世に連れて行かれるよ。

なんてよく言われたもんだ。
実際、盆の海は足を取られるなどという話はよくあるけれど、連れて行かれるというのはくらげに刺され死亡する例があったからだろう。


くらげも遠巻きに見ると人魂のようにも見える。

なんでも…ユウレイクラゲなる名前のクラゲまでいるそうだからクラゲはあの世から来た亡霊なんて昔だったら余計そう思っていたことだろうななどと思えてくる。





思えて…………




グゥゥ……






唐突に腹の虫が鳴く



「お腹が……減った……」


私の中の井之頭五郎さんが言う。
ちょうどいいタイミングでカフェコーナーが目の前にふらふらと吸い込まれるように行くと



アユの塩焼きドッグ 期間限定販売


鮎の……塩焼き……ですって?



好物である。

迷わず言った。


「アユの塩焼きドッグ1つください。飲み物は……このレモンサイダーで…。」




アユの塩焼きドッグ

鮎が乗っている……


当たり前だけど思った。


ホットドッグのソーセージが鎮座しているだろう場所に、1匹の鮎が塩焼きになっていた。

串に刺さった状態でよく食べている鮎の塩焼き。
それがパンに挟まっとる…パンチが利いたビジュアルである。



「いただきます………」




空腹だったこともあり、もぐもぐと食べ進めて完食した後、







うん…まぁ、別々で……食べるに限るな…



それを言ったら元も子もないでしょとビンタされそうなことを思う(でも不味くはない、でも美味しくも、ない…けど、何回か食べたら多分クセになる……味だったかもしれない)


私はここからまた京都水族館にはご無沙汰した状態なのだが、毎年夏の期間にアユの塩焼きドッグは京都水族館の夏の風物詩になっているようである。クセになっている人が多いに違いない。



「………さっっむ……」


せっかく夏に来たのだ、涼を求めようなどと要らぬことを思ったばかりに、結果的に雰囲気ではなく水(雨)をぶちかけられどうだ涼しくなっただろうとまさかの旅の最終日の締めくくりは天候から涼を求める羽目になった。


翌日、少々風邪気味だったのは言うまでもない。

chochochi cafe

〒604-0001
京都市中京区道場町4-8
営業時間11:00-18:00
定休日 月•火曜
HP: https://cocochicafe.com


圓徳院

〒605-0825 
京都市東山区下河原町530
開門時間 10:00-17:30(受付終了17:00)
拝観料 大人500円 中学生200円
HP: https://www.kodaiji.com/entoku-in/haikan.html



京都水族館

〒600-8835
京都市下京区観喜寺町35-1(梅小路公園内)
営業時間 ※日により異なる為HP要確認
※注意 土日祝は日時指定の入場券が必要
定休日 無休
入館料 大人2400円 高校生1800円 小•中学生1200円
幼児(3歳以上)800円

HP: https://www.kyoto-aquarium.com/index.html



真夏の京都二泊三日の旅2017 完!!