前回、8割書き上げたところでね....うたた寝して全消去しちゃってメンタル完全にやられた記事をね...やっともう一回書き直しました....いつものお調子者前回の前置きができないくらい書き直しに書き直しに書き直しを重ねてもうこれあれだ!!加筆修正形式にして行こうと思います。
こんばんは!あめんぼです。
誤字脱字は発見したらその都度修正、そしてここ抜けてね?と思った?抜けてるの後で書き加えてくとこね!前代未聞だね。
宮島探訪①で、厳島神社について書きました。
その、厳島神社と深い関わりがあるのが今回紹介する寺院です。
大願寺
厳島神社の出口を抜けるとすぐに大願寺があります。
正式名称は、
大願寺は、お馴染みの京都嵯峨大覚寺の末派だった時代があったそうだ。(現在は高野派に属しています)神仏分離令が発令された際、厳島神社を護るため方々走り回った寺院のひとつであり、厳島神社の本願でした。本願とは、社寺の修造を担う組織で社殿の風化や災害時の修繕などなど一手に担っていたようです。
この写真を見て欲しいんだけれども....厳島神社の入口と出口の写真。適当に撮っちゃったものだからちょーっと見にくくて申し訳ないのだけど、気にしなきゃただの入口と出口なんだけど違和感を感じないですか?出口の方が、入口っぽくないですか?豪華な作りだよね。
昔はこちらが入口だった、と言われています。
船着場が此方側だったそうなんですよ。大願寺の裏には当時大風呂があってそこで参拝者達はお風呂に入ってから僧坊(現在の本堂)で着替えて現在の出口から入って行き参拝したんだって。
よくよく周囲を見ると、確かに大鳥居をくぐってから参拝するのであれば大願寺側からの方が参拝経路っぽく見えますね〜。西回廊の方が長いのも頷けますね。(どこの神社も正門的鳥居からのルートは本殿までの距離が一番長いってなもんだ。)
ちなみに、現在の本堂が僧坊だったころ...大経堂(現:千畳閣)を本堂にする計画があったそうです。千畳閣から厳島神社に直接行けるよう階段を...という計画があったみたいよとさらっと千畳閣の記事で書きましたが、実現していたら、大願寺は参拝者を送り出して迎え入れる寺院になっていたかもしれませんね。未完成で終わっちゃったからね...
仁王像
山門に安置されている仁王像は、以前は宮島桟橋から見える要害山に仁王門があったそうで、明治に門が廃されて大願寺にやってきたんだって!!
以前から仲良くさせていただいている巨大仏写真家の半田カメラさんが数年前に仁王像写真家の渡邊丈士さんと開催した2人展を拝見しに行った際、半田さんから渡邊さんがいかにして網で遮られている仁王像を鮮明に撮影しているかと説明してくださったことを思い出し....
その時聞いた話を思い出して、どの網目から覗くべきだ....!?と黙々とまるで刀を鑑賞するときのように中腰でEXILE状態になりながらw
網を....
覗き...込み
あ、何とか撮れた!!
あ、、網を...
覗き込....
撮れぬ!!
空気椅子みたいにプルプルしながら撮りましたw
ダメだーなかなか渡邊さんのようにはいきませんね。そりゃそうだ長年やってる方のやり方をその場ですぐ出来たら商売上がったりってやつだよ。
二番煎じ程情けないものはないので、人様の真似しないで我流を見つけてお勉強します;;
伊藤博文お手植えの九本松
宮島で一番大きい樹木なんだって。なかなか全体がフレームに収まってくれずとめっちゃ離れて撮ったりして。
大願寺といえば、第二次長州征伐の際、勝海舟が幕府の使者として訪れ長州藩士の木戸孝充(桂小五郎)や広沢真臣らと長州征伐停戦交渉をした事が有名ではないでしょうか。会談が行われた書院が今も残されています。途中からカメラをバックにしまい込んでいた...というか、話を伺ったりメモ書いたりしていたのでここでは殆ど写真撮ってなかったのですよ...カメラ邪魔だったもんだから......今となってはやってもうた感ありまくりですが〜:( ´ཀ` ):
人はそれを....あとの祭りという。
次に向かった先は大聖院!
大願寺から歩いて10分かからないくらいかな?
大聖院
大聖院までの道のりがとても風情があって素敵なのです。緩やかな坂道をのんびり景色を楽しみながらテクテクと。社家や社僧屋敷跡が並んでいます。
路地裏なんかもいい感じ。
鹿が、お出迎えしてくれたよ。
大聖院は806年に空海が開基した宮島内で最も古く歴史のある寺院。大願寺で少し触れましたが大聖院は江戸時代、厳島神社の別当寺でした。仁和寺の
参拝されたことがある方はご存知かと思いますが、ここはとにかくこれでもかというくらい仏像がズラリと並んでいて、まるで仏像博物館のようだよ。特に眼を見張るのは五百羅漢ではないでしょうか。
五百羅漢庭園
山門を潜ってすぐ左手に五百羅漢庭園があります。
入ってみると思わず、『わっ...』と声が出てしまうわけで、、、、
帽子かぶってるw
お寺の方に聞いて見たらこの帽子は信者の方が作ってるんだって。しかも毎年奉納されているらしいです。凄いなぁ...大聖院のこと大好きなんだね!!
エリアごとに色が違ったりなんかして、何なのカラフルじゃないか...しかもマフラーとかも巻いてる方もいらっしゃったりとかして(笑)
遠くから見ると保母さんと保育園児達みたいな既視感
一体一体表情が違って面白い。
この五百羅漢像達も全て奉納されたものです。
観音堂
年末だったこともあって行事用にテントが観音堂の前にあったので、お堂の写真は撮っておりませんが、大聖院の本堂。神仏習合時代、厳島神社の本地堂(現在は廃されています)に祀られていた十一面観世音菩薩像が御本尊になります。
平清盛は、こちらにいる十一面観世音菩薩像に向けて平家納経を奉納したと伝わってはいるんですが、時代が異なるようで....南北朝時代位に制作したのでは?と考えられてるみたい。別の観世音菩薩の可能性もあるんだとか。
- 狸僧
ちょっと達磨に顔が似ている青銅製?の狸の像があったんだけどその隣に説明板があって、
通常狸の置物は、大きなお腹と金袋、笠をかぶり、通帳・
へぇぇ!!!知らなかった!今まであまり狸の置物に注目したこともなかったので意味があるとは知らなかったなぁ。
それぞれの意味は....
- お腹→物事に対して寛大で、太っ腹。しかし、大胆かつ沈着な決断も必要。
- 金袋→金運を呼ぶ。
- 笠→災難から身を守る。
- 通帳→この世は信用第一。
- 徳利→飲食に困らず、徳を持てるように努力せよ。
なんだって。
後から調べてみたら他にも
- 目→周りをよくみてよく気を配り正しい判断をする。
- 顔→お互い愛想よく。
- 尻尾→終わりよければすべてよし。
なんてのもあり、全部で8つ。これを
托鉢風たぬき僧もいましたよ。
丁度、昨年落柿舎の帰りに立ち寄った工房で狸の置物を撮ってたので貼っときますね。普段あんまり気にも留めない事の中にも何かしらの意味ってまだたくさんあるんだろうね!死ぬまでに一体いくつ見つけられるんだろう。
- 仏教とキリスト教のコラボが....
!!!?
えっ?
お、お寺に大天使ミカエルが、な、何が起こった...!?と思ったら、ミカエル像の後ろにモンサンミッシェル友好5周年記念と書かれていました。(平成26年5月17日が記念日みたいですね。)
な、何でもありだなぁ(笑)
めちゃくちゃ美人なミカエルである。
まぁミカエルはどのミカエルも美人なんだけども。天使だし
それにしてもお寺に天使ってなかなかいない(そもそもいないか)から何がどうなっちゃってんのとか頭の中でいろんなわたしが会議してたけど最終的に
いや〜〜シルエットかっこいいよな〜で落ち着きました。←
- 観音経摩尼車
ミカエル像の後ろにいる観音像。綺麗なお顔してますね。向かって右側から撮影すると穏やかな顔してるけれど左側から撮影したら何故かどれも白目で写ってしまって、あれれ...と、なったりして(笑)摩尼車の上に観音様が乗っかってました。
観音堂の地下に戒壇巡りっていうのがあって真っ暗闇の中を念仏唱えながら進んでくっていうのがあるらしいんですが、ちょっと覗いた瞬間、あっあっ....ダメだほんと暗い前見えないダメ怖い...とリターン;;;;意気地なしだよわたしは。
摩尼殿
摩尼殿は弥山三鬼大権現の祈祷所なんですって。今回弥山まで行けてないので三鬼大権現については...調べてこなかった(だいたい聞いたり調べに行ったりしてるんですがノータッチ一泊二日は時間足りなすぎでした;;;)ので今回は割愛...参拝だけでございます。
階段には、般若心経か刻まれた摩尼車がずらっとならんでいるのだけどこれを一回転するとお経を一回唱えたと同じ功徳があるという都合のいいありがたいシロモノ。
摩尼殿、めちゃくちゃかっこいいんだよ〜!!首が痛くなっちゃったよ。
テクテク歩いていたらなにやら可愛い集団が。
ずら〜っと並ぶお地蔵さん。
お願い地蔵というらしいのですが...
良縁成就,家内安全,心願成就,商売繁盛,身体健全などなど、
お願い事をお地蔵さんに託すわけですが、わたしいつもお願いすることとかよく深いものだから何にでも融通がきく都合の良い願い事をするわけで、、、
心願成就ってやつですね(笑)
センター陣取ってきました←
仏像セレクションあれこれ
勅願堂の入り口にずらりと並ぶ、十六善神と常啼菩薩,法誦菩薩,玄奘三蔵,深沙大将...20体の像は個性豊かで見ていて飽きないよ!
まんまるお地蔵さん。
小さな七福神も
もはや、キャラクター化しちゃってるような気がする観世音菩薩もいたりしてね(笑)なんだろう....仏像博物館とか言ったけどなんかテーマパーク感出てきたぞ?
見ざる聞かざる言わざるなお地蔵さん達。遠目で見るとマルコメくん達がクスクス笑いしてなんか話してるみたいだね!
読み地蔵,書き地蔵,そろばん地蔵。なんかやってれば、◯◯地蔵になる地蔵ワールドである。
こんなところにも!?(木の根元)
ひっそり。
本当にどこ見ても誰かしらいるという....。
横顔がとっても綺麗。小さいんですが存在感ありました。
この子可愛いな〜和む〜とかほっこりしていたんですけども....
何だろう、ごめんなさいちょっとムカつく。
お寺カフェ
山門潜って直ぐにお寺Cafeもあります。
わらび餅と大福とお抹茶〜!
甘すぎないからパクパクいけます。お寺カフェだからお坊さんとかがやってるのかと思ったらオシャレなお姉さんがカフェを切り盛りしてました(笑)
大願寺&大聖院御朱印
右:大聖院にて、波切不動明王(12/16)
左:大願寺にて、厳島弁財天(12/17)
大聖院にて、十一面観音と極楽観音御朱(12/17)
朱の押印は300円、金色で押印の場合、500円で授与いただけます。
さて、最後くらいちょっと真面目に書きましょう。
今回観光や平家納経とは別に厳島神社の防災建築(ブログには今回は書きませんが←多分楽しいのわたしだけだと思うので)と宮島での神仏分離令についてを念頭においての旅だったわけですが、やはり一泊二日はであれこれ調べるのは限界がありますね...中途半端で終わっているのでまた調べる要点まとめて整理がついたら宮島には行きたいなと思っております。
護るために関係を断つということ。
厳島神社は、平安時代中期〜後期には神仏習合が始まっていたのではないかというのが、平家納経の奉納時期(長寛2(1164)年9月)から推測が付きます。そこから約700年以上神仏習合の歴史を作り上げてきたわけですが、慶応4(1868)年に明治維新政府はかなり早い段階で出した政策に神仏判然令がありました。安芸国一宮※1であった厳島神社も例外ではなく神社から仏教要素を排除すべく政府から迫られたわけです。
政府は、別当寺※2や社僧に対して、還俗して神官になるか拒否するならば即刻神社から立ち去るよう命じています。
大聖院と大願寺は、共に藩に"どうかこれまで同様両寺を存続させていただきたく...."と、懇願書を送っています。
政府は神仏習合の考えがないわけだからこの申し出が受け入れられるはずもなく...広島藩止まりで東京に届くことはなかったんですが、それでも何とかならないだろうかと大願寺は、上方本寺であった京都嵯峨大覚寺に対しても懇願書を送ります。明治政府の政策自体が変わらない限りはどうする事も出来なかったようです。多くの寺院も廃寺になる中いわば寺壊しと言われているこの政策は、寺院がどんなに声をあげたとしても届かなかったんですね。
※1神社の社格を表す格式のひとつで、各国の中で最も格式高い神社を一宮と呼んでいた。二宮、三宮と続く。
※2神仏習合が行われていた時代神社を管理する為に神社内に置かれていた寺。神社内にいる僧侶は社僧という。
最終的に、大願寺と大聖院は厳島神社から離れる決断をしてそれぞれの寺院が早い段階で独立しました。
この、早い段階でと言うのがポイントで厳島神社に祀られていた多くの仏像が排除される前に大聖院や大願寺に移された為寺院に仏教要素がある分にはなんの問題もないわけで、しかも厳島神社とは既に関係が断たれているので政府が手を出す理由がなかったんですね。
つまり、いち早く神社から離れたことで厳島神社を護ったということになります。なんだか目頭が熱くなるものがありました。
ただ、これで一件落着というわけではなかったのも事実ではあり、宮島内で様々な破壊はあったようです。細かな事は今後また足を使ってあっちいったりこっちいったり調べに行くとしまして....
今でも、大願寺は厳島神社のとなりに寄り添うようにそこにいて、弁財天が神社の参拝を終えた人達を迎え入れ、大聖院から観世音菩薩も厳島神社を眺めてるんでしょうね。
大願寺&大聖院詳細
- 亀居山方光院 大願寺
〒739-0535
広島県廿日市市宮島町3番地
参拝時間; 8:30-17:00
- 大聖院
〒739-0592
広島県廿日市市宮島町210
参拝時間:8:00-17:00
web;http://www.galilei.ne.jp/daisyoin/
今回たまたま宮島の研究してらっしゃるという方と出逢いまして(牡蠣食べ行ったら相席になったというミラクル現象)ちょっとの間だったけれど教えていただいた事なども含めて(ブログOKいただいてます)更新しました。
ここでお礼申し上げます。
正直二日で4時間調べられたか否か?くらいの時間なので..それが悔いが残りますが....
次回は、気楽な記事の最終回。
ではまた!!